
往診や訪問診療に取り組むとともに、特別養護老人ホーム・訪問看護ステーションを運営し、多職種連携によるネットワークづくりに尽力。東日本大震災後は被災した地域のために地域包括ケア、台風水害支援、新型コロナウイルス感染症対応を主導してきた。学校医、産業医も25年以上務め、小中学生に認知症、在宅医療、がんなどについて伝える「いのちの授業」を展開。2023年に自身がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、医師であり患者でもある立場から、自分の声を読み上げるソフトを用いて講演を続けている。

産婦人科医として66年、父の代からの医院を継承し、これまで1万人以上の出産に携わっている。昭和50年代にはラオスの内乱で国を追われ、旧大宮市に移り住んだ約50名の難民の人々の健康管理に協力した。また、言葉も通じず習慣も異なる異国で不安を抱えている妊婦10名の分娩、産前産後の健診を無償で行った。「いのちのバトンを繋ぐこと」を代々受け継ぎ、女性の一生、思春期から老年期まで年代ごとの悩みや不調を解決するために寄り添うパートナーを自負。2027年の開院100周年を見届けることを目標に、今なお現役を続ける。

故郷である上越地域の精神科医として、30代から住民の「こころの病の健康・予防」に尽力。現在まで二つの病院の「仁寿の精神」を受け継ぎ、地域医療を行っている。1980年代よりグループホームの前身の共同住居活動を基に、1981年に社会福祉法人を創設し、医療の傍ら、精神障がい者が地域で暮らす住居・就労ケア(工房でのパン作り、農作業など)を継続。また、障がい者への「偏見・差別解消の理解」のため、「まあるい心で共ににっこり」をスローガンとして住民と共に、祭り・音楽会・マラソン大会などを長きにわたり開催している。

「家で療養したい」という患者の願いをかなえるため、1996年に出水クリニックを開業。以来、一般内科とペインクリニックの外来診療と並行して、在宅診療にも従事し、これまで1500人以上に寄り添い、900人以上の看取りを行った。他の診療所との相互連携により、24時間365日体制で在宅医療を提供する枠組み「岸和田在宅ケア24」を構築した他、在宅医療に関して医学生や研修医への指導、市民への講演、医師会の医療・介護連携事業などにも尽力。独居高齢者や在宅看取り患者の家族への支援などにも取り組んでいる。

東日本大震災に衝撃を受け岩手県宮古市に移住。被災地支援にとどまらず、循環器科常勤医が不在だった病院で、24時間緊急対応可能な循環器診療の実現に尽力した。2023年に故郷の徳島県に戻り、県立病院の内科に勤務しつつ、医師不足や高齢化が進む準無医地区の診療所にも赴く他、学校や高齢者施設との連携、地域住民への健康講話などにも力を注ぐ。2024年の能登半島地震の際には被災地支援に県医師会から日本医師会災害医療チーム(JMAT)として参加。平時も災害時も患者に寄り添う医療を掲げ、実践している。