日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第14回

受賞者紹介
地域連携で「家で治療を受けたい」患者の願いをかなえる
出水クリニック 理事長・院長
出水 明
(大阪府)
柿平博文撮影
これまで診療した在宅患者は約1500人

大阪府泉州地域の城下町で、秋には勇壮な「岸和田だんじり祭」で知られる岸和田市の和泉大宮駅近くにある「出水クリニック」。平成8年の開業当初から、当時は珍しかった痛みの治療・管理を行うペインクリニックや、自宅で最期を迎えられる在宅医療に取り組んできた。

「外来のペインクリニックをやりながら、主にがん性疼痛の患者さんを自宅で診療する。在宅ホスピスケアと外来のミックス型で開業しました」

勤務医時代に「自宅に帰りたい」と訴える患者に出会ったことがきっかけだった。在宅療養を支える体制が無く家に帰れず、病院で最期を迎える患者が少なからずいることに疑問を感じた。

ペインクリニック医として、家でも病院と同じように痛みをはじめとする症状の緩和はできると考え、慣れた家で最期の時間を過ごしたい人に寄り添ってきた。これまで診療した在宅患者は約1500人。900人超を看取ってきた。

28歳で医学部入学し、34歳で医師に

和歌山県で生まれ育ち、子供のころから自然が好きだった。日本の山岳界に大きな影響を与えた京都大山岳部にあこがれ、「ただそれだけで京大工学部を受験し、山岳部に入りました」。

入学した1970年代はまだ学生運動の余韻が大きく残る時代。京大もストなどで講義が長期間開かれないことがあった。そのまま卒業して社会に出て行くことに悩み、大学を離れて共同体運動などに関わったりして、後に退学。大阪の印刷紙器会社で働き、結婚して子供も誕生した。

「そのころ、この仕事をずっと続けていくのか、何か直接、人に役立つ仕事をしたいと考えるようになり、医師になろうと決めました」。現役で入った同級生より10歳年上で大阪大医学部に入学。大学の医局では当時の麻酔科の助教授に「何科に行くにしてもまずは全身管理を学べるうちに来たら」と誘われ、麻酔科に入った。

その後、京大山岳部出身で医師となった先輩からヒマラヤへ医学研究に行くチームへの参加を誘われた。数ヶ月仕事を離れることになるため、恐る恐る当時の吉矢生人教授に相談したところ「面白そうだから行ってこい」と許可をいただいた。

ある乳がん患者との出会い

画家の浜田雅代さんが描き上げた絵が待合室に掲げられている

麻酔科医として阪大病院から大阪警察病院に移り、ある60代の男性患者に出会った。原発不明のがんの転移で首から腕にかけての痛みを訴えられ、首から硬膜外チューブでモルヒネ注射薬を入れてやわらげた。入院が長期になっており、患者は元気なので、家に帰らないのかと尋ねると「もう少し病気がよくなれば」という返事だった。内科の主治医に告知について尋ねたところ、当時の考え方では治る見込みの無い患者への告知は「とんでもない」という返事だった。この時「やはりがん患者の緩和医療をするには自分が主治医として関わらないといけない」と思った。薬液の注入は自分が家に行ってするからと話して訪問し、1日だけ自宅で過ごしてもらった。「ご本人・家族ともとても喜んでくれた。この経験が私の在宅医療のスタートです」

そして、その後、岸和田市に麻酔科ペインクリニックを主標榜とする「喜多病院」があることを知った。平成5年に副院長として着任し、痛みを訴える患者の緩和ケアにあたるようになった。

そこで1人の乳がん患者の女性と出会う。浜田雅代さん。がんが脳に転移し、当時まだ保険ではできなかったγナイフ治療を受ける前に体力をつけるため、同院に入院していた。浜田さんは美術学校を出て絵を描くことが好きだった。γナイフ治療は済んだものの、だんだん病状が進行した浜田さんは、何度か入退院を繰り返したが「家に帰りたい。今まで描いていない大きな絵に挑戦したい」と望んだ。

通院が困難になり、勤務後に看護師達とボランティア的に自宅に訪問をするようになり、途中からは在宅医療として対応した。浜田さんは念願だった100号の絵を描き上げ、その数日後、51歳で家族に見守られて自宅で亡くなった。自分にとって初めての在宅看取り患者となった。

「主治医として、家に出かけて生活の中で患者さんを診ることが大切だと教わった。それで開業しようと決めました。そして、その絵が今の出水クリニックに飾ってあります」

登山から学んだ在宅医療

「岸和田在宅ケア24」を構築し、24時間365日の在宅医療を実現

8年は日本で初めて在宅専門クリニックができた年だ。出水クリニックも在宅半分、外来半分での船出だった。

在宅医療はチーム医療で、重要なパートナーは訪問看護師だという。毎朝45分をかけてカンファレンスを行い、患者の様子について情報を共有する。在宅医療は家という患者・家族のホームグラウンドにビジターとして入る。「患者さんや家族は、医師に言いにくいことでも看護師になら心を開いて話してくれることも多い」といい、現在は6人の常勤訪問看護師が医師を支えてくれている。

また、医師が学会や旅行などで地元を離れた際にも、患者の看取りなどへの対応ができるよう、20年前に「岸和田在宅ケア24」という他のクリニックとの連携ネットワークを立ち上げた。

主に5つの診療所と1つの病院が相互連携し、ある医師が岸和田を離れる場合は、連携メーリングリストで待機を依頼し対応をしてもらう。「在宅医療を長く続けるには、医師の側も余暇がないと息切れしてしまう。私も趣味の登山が再開できるようになりました」と振り返る。

登山から学んだことは多い。在宅医療を登山に例えれば、患者・家族というパーティーが山を登っていく際に、医療者はそれをサポートするガイドだという。「上手にガイドすることが必要で、いきなりこの崖登るんですけどみたいなガイドをしてはいけません」と笑う。

そして、大切な家族を在宅で看取ることは、私達の人生の中でとても大きな仕事ではないかという。「後悔のないように、できるだけやれるというのがやっぱり家だと思うんですよね。私は長く続く在宅緩和ケアという山脈を、ガイドとして訪問看護師をはじめとする多職種と歩き続けていきます」(藤原由梨)

在宅医療はチーム医療
出水 明 でみず・あきら
出水クリニック院長。昭和27年、和歌山県湯浅町生まれ。61年、大阪大医学部卒業後、同大医学部附属病院麻酔科に入局。大阪警察病院を経て平成5年に喜多病院(当時)副院長に就任。8年に出水クリニックを開設。現在も在宅医療のため地域を回っている。
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