
暖かな院内の診察室で、赤ちゃんの小さな体に聴診器をあて、心音に耳を澄ませる。真剣なまなざしに、張り詰める空気。異常がないことを確認すると、軽くうなずき、笑顔を見せた。
多くの子育て世帯が移り住み、人口増が続くさいたま市大宮区で半世紀以上、産婦人科医として女性と子供たちの健康を見守り続けてきた。これまで誕生を見届けた子供は1万人を超える。
赤ひげ大賞の受賞の知らせに驚きつつも、「今があるのは、家族やスタッフの協力のおかげ」と語る。

内科医の父が、医療機関のない「無医村」だった地元に林医院(現・大宮林医院、さいたま市大宮区)を開業したのは昭和2年のことだった。
地域の診療を一手に引き受け、依頼があれば、周辺の川越市や富士見市の患者の往診も担っていた。病に苦しむ人たちのために奔走する姿を見て育つ中、自然と医学の道を志すようになった。
高校卒業後は昭和医科大学へ。医療の知識・技術の習得に励む一方、ラグビー部に所属し、文武両道を貫いた。「ハードな練習で体を鍛えてきたおかげで、過酷な業務にも負けない丈夫な体を得た」と語る。
大学卒業後は産婦人科医としてのキャリアをスタート。大学の医局で6年半あまり研鑽を積んだ後、父の医院が現在の場所に移転したのを機に34歳で地元に戻った。41年に父の医院に産婦人科を開き、地域に根をおろした。

時代はやがて、年間の出生数が200万人を超える第2次ベビーブーム(46~49年)を迎え、忙しい毎日を送るようになった。
昼夜を問わず分娩対応に奔走し、妊婦と胎児の経過に心を砕く日々。分娩対応は月30~40件ほどに上り、自宅に帰ってきても、すぐに医院へ舞い戻るといったことは日常茶飯事だった。
息子が小さかったころ、「一緒に行こう」と約束したプロ野球の観戦日に、分娩対応が入ってしまったことも。「家族には苦労をかけた」と苦笑するが、この仕事が好きだった。
「産婦人科医というのは気が休まることはなく、時に難しい判断を迫られることもある。それでも、赤ちゃんが生まれ出て元気な産声をあげてくれた瞬間、味わった苦労も疲労も、すうっと消えていってしまう」
そんな仕事一筋の夫を、妻の好(よしみ)さんは支え続けた。家庭を切り盛りしつつ、住み込みで働くスタッフや入院する妊婦らの食事づくりも担当。「新婚旅行から帰ってきた次の朝から、厨房に立った」と、笑いながら振り返る。
忙しさに追い打ちをかけていたのが、深刻な人材不足だった。周産期医療の専門知識を持つ看護人材は病院に勤めることが多く、小規模な医療機関が専門人材を確保することは難しい状況にあった。
産科に従事する看護師らの育成に向け、日本産婦人科医会が主導し、埼玉産婦人科看護研修学院が設立(54年)されると、自らも業務の傍ら教壇に立った。平成12~18年に同学院長も務めた。
その後も、人材の育成に協力は惜しまず、大宮医師会立の准看護学校が実習場所に困っていると聞けば、実習施設に名乗りを上げ、自ら講師も引き受けた。
女性たちが安心して子育てができるよう、産前・産後の指導を行う母親学級も開催。地域の小学校の校医などとして、子供たちの健康管理にも携わってきた。

心に残る思い出がある。昭和55年に、内乱で祖国を追われたラオスの難民50人を大宮市(当時)で受け入れたときのことだ。
社会奉仕活動を行う大宮西ロータリークラブのメンバーとして、妊婦10人の分娩対応を無償で引き受け、出産前後の健診も担った。
地域では衣食住の支援も行われ、難民の中には、大宮を安住の地として、定住を決めた人もいるという。
「産婦人科医として国際貢献ができたことは、人生の喜びとなった」
医師としての仕事を担う上で、信条としてきた言葉は「至誠一貫」。助けを求めてやってくる人たちに、「真心を持って奉仕することが医者の役目」と話す。
高齢となった現在は婦人科外来での診療に軸足を置くが、患者に寄り添う姿勢は変わらない。
大宮林医院で看護師長を務める松井由紀子さんは、「患者さんの話にじっくりと耳を傾け、スタッフへの気遣いも欠かさない。ホスピタリティーという言葉を体現するかのような先生」と尊敬のまなざしを向ける。
現在、院長として周産期医療の現場を束ねるのは、産婦人科医の長男、正敏さんだ。「父から『医者になれ』といわれたことはなかった」と明かすが、「気づけば、父の背中を追っていた」と語る。
そんな正敏さんの言葉を、うれしそうに聞いていた林医師。信頼するスタッフらとともに忙しい日々を送る正敏さんの姿に、「本当に、よくやってくれている」と目を細める。

一方、周産期医療を巡る環境は今、厳しさを増している。
業務負担の大きさなどを背景に、産科を選ぶ医師は減少。少子化の進展、出産費用を巡る国の制度改革などが今後、経営に深刻な影響を及ぼす恐れもある。
閉院を決める医療機関も相次ぐ。地域によっては、妊婦が自宅から遠く離れた分娩施設を利用せざるを得ないといったケースも出ているという。
「国は医療機関が置かれる厳しい現状に、しっかり目を向けてほしい」。地域医療を守る現場の願いだ。
親子3代で守ってきた大宮林医院は2027年、100周年を迎える。医院の外来には、出産を控えた妊婦たちのほか、医院での出産を経て、更年期や老年期を迎えた女性らの姿もある。
今年94歳となる。命のバトンをつなぐ担い手としての使命感が薄れることはなく、仕事への意欲はなお旺盛だ。
「産婦人科医は女性の一生に寄り添うパートナー。自分ができる奉仕を、これからも続けていきたい」
陽だまりのような笑顔がはじけた。(三宅陽子)