日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第10回

受賞者紹介
運命に導かれた地で農村・地域医療にかける
仙北市西明寺診療所・桧木内(ひのきない)診療所 所長
市川 晋一
(秋田県)
山本雅人撮影

広大な地域に住民点在

秋田弁で患者と心をかわす市川所長

平成17年に秋田県の田沢湖町、角館町、西木村が合併して誕生した仙北市。このうち旧西木村(西木地区)の唯一の医師として20年以上、住民の健康を預かってきた。

西木地区は山手線内側の約4倍の面積を誇るが、その多くは森林が占めて冬の積雪は2メートルを超える。約4千人の住居は山奥にまで点在し、高齢化率は50%に迫ろうとしているが、バス路線は廃止され移動もままならならない。この地で医療を行うことの大変さは想像に難くない。

「高齢者のことを考えて、できるだけ地域内で医療ができるようにしたい」との考えから、西明寺診療所のほかに、山間部の桧木内の総合林業センター内の一角を借り、“分院”ともいえる桧木内診療所で週1回診療。自身が移動して診療することで住民に負担がかからないようにしている。

流暢(りゅうちょう)な秋田弁で患者と自然なやり取りをする姿からは想像できないが、もともと、秋田とは全く縁がなかった。

診療所のスタッフと

兵庫県姫路市の靴店の長男として生まれ、高校まで兵庫で過ごす。そんな中「幼いころ、野口英世やアフリカの無医村で医療を行ったシュバイツァーなどの伝記を読んで医師にあこがれた」と言い、更に高校生のとき「農村医療を提唱・確立した若月俊一先生の名著『村で病気とたたかう』を読んで農村医療を志すようになった」と振り返る。

秋田の人の優しさに触れ

市川医師らの尽力で3倍の広さに建て替えられた診療所

東京で予備校生活を送り、合格したのが秋田大医学部。そこで「秋田の人の優しさと自然の美しさに魅了され」、この地で農村医療を実践することを決意した。

大学では実習での人工透析に興味を持ち、腎泌尿器科の講座を選んだが、将来の少子高齢化を見越していた教授の「排尿障害を始め、多くの高齢者が関係する泌尿器科が今後ますます重要になってくる」との言葉に共感し、泌尿器を専門に。更に、研究の経験も積んで厚みのある農村医療を実践したいとの考えから大学院に進み、排尿障害の疫学的研究などを行った。

診療前のスタッフカンファレンスで

大学院修了後の昭和60年、JA仙北組合総合病院(現・大曲厚生医療センター)の泌尿器科長となるが、「座して患者を待つだけの医療ではいけない」との信念から、総合病院での診療の傍ら、寝たきりやがんの進行などで通院が困難となった患者らを診るため、車で1時間かけて定期的に西木村に通っていた。介護保険制度もなく、「訪問診療」という言葉がまだあまり一般的でなかったころのことだ。

そんな中、「自分は農協の病院に勤めているが、本当に農民のための医療ができているのか」との思いを持ち続け、定年になったら農村に入って本格的に農村医療を実践しようと考えていた平成11年、50歳を前に転機が訪れる。

特別養護老人ホームの嘱託医も務める。回診で入所者と

当時の西木村の村長から「村の診療所に来てほしい」と懇願された。翌年に介護保険制度がスタートすることもあり、医療と福祉をつなぐことのできる医師を探していた村と、福祉や行政と連携した医療を行いたいと思っていた市川医師とで思いが一致。村も全面的にバックアップすることを約束したため、翌年4月、家族で西木村に移住し、西明寺診療所の所長となった。

当時、西明寺診療所は赤字で、医師に対しても「高給取りだが働かず、定着せずにいなくなってしまう」と微妙な感情を持つ住民も一部おり、医師を信用して継続通院してくれる患者も多くはなかった。着任後、「本が1冊書けるほど苦労した」と言うが、「信用を得るため、24時間365日、どんな患者でも断らない」との志を持って誠実に診療する市川医師の姿勢を住民が見逃すはずはなく、感謝の言葉とともに継続受診する患者も増え、1年で黒字に転換した。「市町村の診療所で黒字というのは全国的にも珍しいのでは」と語る。

訪問診療先の玄関で

西明寺診療所の待合室で診察を待っていた60代の男性患者に話を聞くと「先生が村に来てくれて、しかも明るい人で、みんな喜んでいる」と話し、「この診療所があるおかげで、“何かあっても角館までわざわざ行かなくて大丈夫”という安心感がある」とも。

週1回の桧木内診療所での診療の後は、近くの特別養護老人ホーム「清流苑」の嘱託医として、同施設での回診も担当する。

一人では何もできない

仙北市高齢者の保健事業支援委員会の委員長を務める

このほか、仙北市の職員でもあるという立場から、行政の会議のまとめ役を依頼されることも多い。取材した日も診療後の午後6時から、仙北市役所角館庁舎で、同市の「高齢者の保健事業支援委員会」が行われ、第1回でもあったことから市川医師が満場一致で委員長に推挙され、さっそく会議を取り仕切る立場となった。

メンバーの歯科医、薬剤師、介護支援専門員らとともに、住民健診を受けず、医療機関も受診していない人に対して介護・疾患予防の観点から、健診を受けてもらえるよう、どう伝えていくかについて議論した。終了後、「これだけでなく、他のさまざまな会議の委員にもなっている」と教えてくれた。

「一人では何もできない」と繰り返す市川医師。

市川医師の受賞を祝い、有志が地元年中行事の巨大紙風船を上げる

取材は年末に行ったが、週1回の桧木内診療所に車で向かうのに同行した際、途中、「寄りたい所がある」と言って消防署の前で車を止めた。出てきた署員に「1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします」と挨拶し、署員が恐縮している姿が目に入った。

今回の受賞を祝い、地元では有志により「紙風船上げ」が行われた。武者絵や美人画が描かれ、明かりをともした巨大な紙風船が夜空に上げられる上桧木内の伝統行事で、秋田県を代表する冬の風物詩として知られる。本来、毎年2月10日に行われるが、受賞を喜ぶ人たちが記者の訪問に合わせ、特別に診療所の駐車場で上げてくれたのだ。

市川医師がどれだけ慕われているか、これほど分かりやすいシーンはなかった。(山本雅人)

市川 晋一 いちかわ・しんいち
仙北市西明寺診療所・桧木内診療所所長。昭和26年、兵庫県姫路市生まれ。70歳(2022年5月12日時点)。秋田大学大学院医学研究科修了。JA仙北組合総合病院(現・大曲厚生医療センター)泌尿器科長を経て、平成12年、西木村立(町村合併で現・仙北市)西明寺診療所と桧木内診療所の所長となる。
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