日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第4回

受賞者紹介
主役になるお手伝い
ひばりクリニック院長
髙橋 昭彦
(栃木県)
福島範和撮影
診察しながら「楽しいことしようね」と話しかける
「髪がボサボサ」と気にする患者に、「いつまでもレディーですよね」

栃木県の県庁所在地、宇都宮市の北西郊外、「道の駅うつのみやろまんちっく村」近くに「ひばりクリニック」はある。髙橋昭彦医師は、午前中、来院患者を診て、午後からは往診に出かける毎日だ。地域の赤ちゃんからお年寄りまでのプライマリケア(初期医療)を第一に、ターミナルケア(終末期医療)への理解も深い。

プライマリケアとは、住民に寄り添い、内科や外科、耳鼻科、皮膚科などあらゆる診療を行う総合的な能力を持った医師による医療だ。

ひばりクリニックは平成14年、グループホームの施設だった木造平屋に開設した。「前年にアメリカで遭遇した9・11同時多発テロ事件がきっかけだった」と振り返る。

髙橋医師は、滋賀県長浜市生まれ。栃木県下野市にある自治医科大を卒業し、故郷の滋賀県で僻地医療に従事した。「10年間、僻地の診療所に勤め、そこで在宅医療に目覚めた」

その後、宇都宮市の沼尾病院で6年間、在宅医療をしながらボランティアの市民活動に参加。そして介護保健施設長として滋賀県に戻ったばかりの13年、運命の出来事に遭遇する。

患者に薬の服用を説明する

ホスピスの研修で米国に渡ったときのことだ。ワシントンでは、病人や貧者の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞に輝いた修道女、マザー・テレサが創設したというエイズ患者を治療する施設があった。このエイズホスピスは、お金がないにもかかわらず、寄付とボランティアの力で運営されていた。病院の窓が壊れると、必ず直す人が現れるといった具合に地域、周囲の人に支えられていたのだ。

そのホスピスで、シスターに「日本から来た医者だが、自分がやりたいことができない」と訴えると、シスターは「目の前のことをやりなさい。そうすれば、必要なものは現れます」と話し、霧が晴れたような心持ちになった。

その数日後、ニューヨークのマンハッタンで、ホスピスに向かうバスの中から燃えている世界貿易センタービルが見えた。同時多発テロを目の当たりにしたのだ。

研修は中止。歩いて避難したが、数日間、足止めされた。ホテルでテロの恐怖におびえながら「日本に無事帰れたら、自分の思うようにやろう」と思った。

在宅医療を重視

患者の様子を見ながら「在宅は看護師さんがいてこそ」と語る
訪問診療前の打ち合わせに余念がない
ひばりクリニックの外観

帰国して2週間、ボランティアのつながりがあった宇都宮市で、グループホームの施設だった物件が空いているのを知り、ここで開院することを決意した。

あれから15年がたった。「(小さい頃に)予防接種していた子が高校生になったり、看取った人の家族が受診したりしている」。地域住民との長い付き合いの中で、患者の話を丁寧に聞き、患者が話しやすい雰囲気をつくる診察と、在宅医療中心の姿勢は変わらない。

「在宅医療とは、その方が主役になるためのお手伝いをするということ。家では、起きたいときに起き、食べたいときに食べるという患者のペースもあるし、家族の中で、それなりの役割や居場所がある。それを最大限お手伝いする。たとえ寝たきりであっても、亡くなる間際であっても、その人らしくというのを支えたい」

患者のほとんどは口コミでクリニックを知る。患者は、「家庭のことでも何でも話を聞いてくれて、相談も受けてくれる。優しい先生で、安心してかかれる」と通う理由を話す。

髙橋医師の診療スタイルもちょっとユニークだ。患者が入室すると、立ち上がってまずあいさつ。そして診察が終わると、看護師と一緒に見送る。

患者の人生に線で寄り添う

丁寧に触診と問診をする

風邪をひいたという1歳の女の子が、若い母親に連れられ、診察を受けに来た。女の子に「おはよ」と話しかけて聴診器を当て、「カバさんのお口、アーン」。「のどは赤くないですね」と言いながら、母親に子供の状態を尋ねる。「お子さんを一番分かっているのはお母さんですから」

母親は「生まれたときから体が小さく、風邪でもすぐに入院してしまう」と話し、クリニック併設の重症障害児の日中預かり施設「うりずん」を利用しているという。

来院患者は次々と来る。軽い認知症を患う高齢の女性や血圧が高く、夜寝られないという80代の女性。患者と付添人の疑問や要望に一つ一つ丁寧に答え、「問診させてください」と必ず声をかけ、触診し血圧を測り、症状を尋ねる。その間にもたわいないやりとりが患者を和ませていく。

午前の診療は昼過ぎまで続いた。一区切りつくと、「うりずん」に来ている子供の様子を見に行き、子供たちに声をかける。

午後からは、打ち合わせの後、往診に出かける。クリニックから車で20分弱。2年前に交通事故に遭って手足などが不自由になり、ベッドに横たわる男の子(10)の家に着いたのはこの日午後2時半ごろだった。

介護に当たる母親から子供の便についての心配を聞き、男の子の腹を触診。「ちょっとガスがたまっているかな」。診察の傍ら、母親から男の子を東京のミュージカルに連れていった話を聞いた。「楽しいことしようね」と男の子に声を掛けると、これまであまり動かなかった男の子の口が動き、ほとんど聞き取れない声で何かを答えた。

往診は1日に5、6軒。寝たきりの子供やお年寄りらを診て、クリニックに戻るのは午後6時半過ぎになることもある。「年齢と疾患を問わない在宅医療をするためにクリニックを開いた」と寸暇を惜しんで往診に出る。

在宅医療の延長線上には当然、ターミナルケアがある。「在宅医療を始めるときに、『食べられなくなったら、どこで過ごしたいですか』と聞きます」。

最期はどこで迎えたいか本音を聞き、家での看取りのための役割を考える。行政と看取りの研究会も開いている。

年齢、疾患を問わない総合診療のプライマリケアとターミナルケア、子供からお年寄りまで幅広く、長く付き合う仕事についてこう話す。「専門医は手術や治療、入院の1点で患者と向き合うが、私たちは患者の人生に線で寄り添っていく」(高橋健治)

髙橋 昭彦 たかはし・あきひこ
ひばりクリニック院長、認定特定非営利活動法人うりずん理事長。昭和36年、滋賀県長浜市生まれ。55歳。自治医科大卒。滋賀県で病院と僻地診療所勤務後、宇都宮市の沼尾病院在宅医療部長。平成13年、滋賀県に戻って間もなく、ホスピス研修で米ニューヨーク滞在中に9・11テロに遭遇。翌年5月、宇都宮市にひばりクリニックを開院。在宅診療とプライマリケアを行いながら、20年に重症障害児の日中預かり施設「うりずん」を併設。
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