日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第1回

受賞者紹介
患者情報の共有化を実現
横手 英義
(和歌山県)
大塚聡彦撮影
「ひとりで取り組むのではなく協力することが大事」と語る横手院長

秋になると、辺り一帯は赤橙色に染まるのだろう。

日本一の柿生産量を誇る和歌山県の中でも、良質な富有柿の産地として知られる九度山町。冬場はすっかり丸裸になった枝の間から、柿をイメージしてデザインしたという薄オレンジ色の建物が見えた。

「あれが横手さんのとこ」

タクシー運転手が親しげにさん付けで呼ぶ「横手クリニック」は、高野山の麓にあるこの九度山町で20年以上、地域医療を支え続けている。

「これは病気や。けどあんたが家で寝てたら大変やで。お嫁さん、怒ってまうわ。首のリハビリ、せなあかんよ」

診察室からは、横手英義院長の厳しい声が飛ぶ。その様子を見ていた看護師長の岡田さゆりさん(55)が「院長はざっくばらんですから。それが患者さんに安心感を与えるんですよ」と笑った。

九度山のコンビニ

横手院長の専門は脳神経外科。和歌山県立医科大を卒業後、大学院に進んだ。研究を続けるつもりだったが、九度山町に住む両親から、地元のために開業するよう勧められた。「本心は大学病院に残りたかったけど、断れなかった。大きな借金をして、いきなり医院を作っちゃって大丈夫なのか、不安でしたよ」と明かす。

当時は珍しかったMRI(磁気共鳴画像装置)を導入したが、畑をぬうように続く医院までの細い道に、機械を載せたトラックが入れない。「放射線技師などの資格を持つ人も少ないし、 柿の収穫期には『休ませて』と言われちゃう」とスタッフ集めにも苦労した。

「子供を産む3日前まで働いていた」という内科医の妻、裕子さん(59)は、子供4人を育てながら、夫と医院を支え続けた。

「家に帰って、患者の処置をめぐって口論したこともあります。夫婦のどちらかは夜中まで医院にいるし、町を出ることはなかったですね」(裕子さん)。

夜中まで明かりがついている医院には、道に迷った人や、ティッシュなどの日用品がなくなった人が訪れることも。

「九度山のコンビニ、と呼ばれていました」

裕子さんは苦笑するが、その〝呼び名〟はあながち外れてはいない。クリニックには、コンビニのように24時間の医療ニーズに対応できる秘策があるからだ。

武器は〝IT〟

iPad を手に、往診をする。患者に明るく言葉をかけることも忘れない
「人のために役に立つことができるから、いい仕事です」と語る
「ぼくはすぐに患者を怒るんです」と言うが、診察室は笑いであふれている

日本のあらゆる過疎地域がそうであるように、九度山町など1市3町からなる伊都医師会の医療圏にも、高齢化の波は押し寄せている。9万6千人の住民の27%(九度山町では34%)は65歳以上。一人暮らしの高齢者や老老介護も増え、在宅医療や介護のニーズは高まるばかりだ。中核病院の橋本市民病院と地元診療所の複数機関を受診する患者も多く、一人の医師でできることには限界がある。

そこで医師会が考えたのが、患者の血液検査やレントゲンなどの検査データ、投薬情報などを関係機関で共有できるシステム「ゆめ病院」だった。開発を進めた伊都医師会の小西紀彦元会長(75)は「情報を電子化して共有すれば、検査や薬の重複が避けられる。災害で医療機関が被害を受けても、情報は残るから対応できる」とメリットを語る。ともに開発を進めた横手院長の実行力もあり、地元の病院や薬局、訪問看護ステーションなど49機関が参加する「ゆめ病院」は平成14年に〝開院〟した。

それから12年。ゆめ病院には現在、住民の75%以上の7万3千人の患者情報が登録され、在宅医療への応用も始まった。かかりつけ医が対応できないときは、当番医師が情報を基に患者を診る。情報はタブレット型端末「iPad」でも共有でき、患者の自宅地図を表示することもできる。地域医療にITを持ち込んだこのシステムが、24時間、年中無休の地域医療を支え、往診の強い味方になっている。

病気でなく人を診る

人のために汗をかく仕事。一年中、半袖だ(松永渉平撮影)

午前の診察が終わり、往診の時間がやってきた。横手院長は、iPadでこれまでの診療をチェック。自宅の場所を確認し、看護師とともに医院を出発した。

最初に訪れたのは、脳梗塞で寝たきりの池下美代子さん(89)宅。聴診器を当て、血圧を測る。

「右と左で、ちょっと(血圧が)違うのよ。でも、このくらいなら心配ないよ。よかったね」

その言葉に、娘の福形多江子さん(65)の表情が緩む。

「横手先生は、病状だけでなく、食事や生活の仕方など全般の相談に乗ってくれる。明るくて、すばらしい先生です」

在宅医療に必要なのは、難しい医療の知識だけではないと横手院長は考える。

「医療と介護を切り離すのはおかしいでしょ。医療の中に介護がある。大学病院は病気を診る場所ですが、田舎のクリニックは人を診る場所。ぼくはね、人を診てあげたいの」

強い思いを支える原動力となっているのは、横手院長が抱えるひとつの「後悔」だ。

「15年前に母が67歳で亡くなりました。全然、親孝行ができなくてね。もっと長生きしてほしかった。でも、その分、いま地域のお年寄りを診ているのかもしれない」

九度山とは、女人禁制の高野山に入山できない母に会うため、弘法大師が月に9度も下山し たことからつけられた地名という。「親孝行」の代名詞のような土地で、横手医師は両親の遺志を汲みながら、地元に尽くす。

IT化で変わる時代に対応しながら、変わらない「孝行の心」こそ、赤ひげの原点と信じて。(道丸摩耶)

横手 英義 よこて・ひでよし
横手クリニック院長。昭和27年、和歌山県生まれ。60歳。和歌山県立医科大大学院修了。同大助手を経て平成2年に横手クリニック開院。伊都医師会長時代に「ゆめ病院」の立ち上げに深くかかわる。現在、和歌山県医師会理事。
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