日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第1回

受賞者紹介
「患者や家族に安心感を」……親子2代で地域に根ざす
久藤 眞
(三重県)
沢野貴信撮影
「訪問することで安心感を与えたい」。診療以外の役割も重視している

三重県津市の沿岸部にある寺院。訪問診療に訪れた久藤内科院長の久藤眞医師が「どやなー(どうですか)」と、併設された住居の引き戸を元気よく開けると、患者の尼僧、菅沼慧麟さん(87)は待ちわびた様子で迎えた。

「先生の声を聞いただけで病気が飛んでいく」菅沼さんが元気に話す様子を見つめながら、苦笑いの久藤医師は「ほめすぎや」と手際よく脈を取っていく。

菅沼さんは平成24年5月に脳梗塞で倒れた。救急車が呼ばれた際、頑として「久藤先生に診てもらう」と聞かず、救急設備が整った大きな病院ではなく、久藤内科に運び込まれた。その後、自宅で定期的な訪問診療を受け、今では歩けるまでに回復した。「先生は患者の気を楽にさせてくれるのがいい。病気は緊張したら治らん。本当に先生を頼りにしている」と信頼は絶大だ。

最後に足の腫れ具合を確認する久藤医師を横に見ながら、「お父さんの代から親切にしてもらっているけど、よく似てますねん。赤ひげ先生やな」と手を合わせた。

「患者は家族と同等」と白衣やスーツは着ず、季節を問わず裸足にサンダル履きが自分のスタイル。常に微笑みを絶やさず、ざっくばらんで温和な人柄がにじみ出ており、その姿は患者に安心感を与える。

医療だけでない〝役割〟を

「久藤先生がいなくなってしまったら大変。頼りにしている」と話す菅沼さん(左)。絶大な信頼を得ている
笑顔で語りかけ、患者の緊張感をほぐす。診察室では会話が絶えない
女性スタッフとレントゲン写真を確認。訪問診療だけでなく、日々膨大な業務をこなす

久藤医師はライフワークとしての「血友病患者の治療」を行うとともに、津市で昭和初期に医院を開業した父、賀之雄さんの代から親子2代にわたり、地域に寄り添った医療活動を続けている。

メーンとなる外来診療のほか、定期的に患者宅を訪れる訪問診療を1日約10件こなし、さらに体調が急に悪くなった患者がいれば昼夜問わず往診にも駆けつける。内科から精神科まで専門に偏らず診察し、今では診たことのある患者の年齢層は0~ 105歳にまで広がった。「地域に根ざすことで患者も家族も信頼してくれる」。

子供の頃から賀之雄さんが自転車に乗って往診に向かう姿を見ていた。当時は医師が少なく、訪問診療や往診に行く回数は現在よりも多く、その忙しそうな様子は目に焼き付いていた。

昭和20年の津市空襲の折、疎開もせずに診察を続け、住民からの信頼が厚かった賀之雄さん。そうした父の影響もあり、久藤医師は自然と医学の道へ進んだ。

長らく勤めた大学病院では、専門の血液に関する研究に没頭。特に血友病治療に情熱を注ぎ、血友病友の会(患者会)のフィールド活動には顧問として参加し、信頼関係を構築した。また後に、問題となった非加熱輸入血液製剤による血友病患者への肝炎などのウイルス感染防止にも尽力した。

だが、昭和58年に賀之雄さんが亡くなると「父の精神を少しでも受け継ぎたい」と考えるようになり、2年後に市内中心部に現在の医院を開業。

父の代からの患者、子供のころに世話になった人、幼なじみなどが多く受診に訪れたといい、「ありがたかった。(医院が)軌道に乗るのも早かった」と地域の人々のありがたみを感じた。昔を知る高齢の患者から「立派になったねえ」と涙ぐんで手を握られたこともあった。

「家で最期を迎えたいと望む患者、家族も少なくない」と語る久藤医師だが、開業医は設備や高度医療の面で総合病院より劣り、患者の病状が重ければ救急車を呼んだり総合病院への通院を勧めたりする。また当初に比べ若い人を中心に、往診依頼ではなく救急車を呼ぶ住民が多くなった。

「救急車の方が早く患者の処置をできるし、社会情勢の変化だからそれでいい」。だが、その中でこそ、父のような「地元に根ざす医師」としての必要性を感じ、医療だけではない〝準家族としての役割〟を果たしていく考えだ。

「安心を与える」視点で地域支え

往診かばんには常に地元の古い地図や写真も入っている

久藤医師の姿勢は活動内容にも、よく表れている。患者には認知症や寝たきりの高齢者も多い。久藤医師は往診かばんの中に、常に地元の古い地図や出身学校の校章、写真などを入れ、患者と昔話に花を咲かせる。そのほか、覚えた地元旧制学校の校歌や軍歌を一緒に歌ったりするという。

「話をすることで脳の刺激になるし、元気になる」。そう説明するが、自分にとっては生まれる前、または物心がつく前の話であり、仕事の合間に歴史の勉強をするのだから決して楽ではない。

また、患者から戦友ら旧知の友人の消息を尋ねられ、方々を当たって探してあげることもある。高齢者世帯では電球の付け替えまですることもある。

「何も特別なことはしていないですよ」。笑って謙遜するが在宅診療に情熱を傾けてきた結果、最期を病院ではなく久藤医師のもと自宅で迎えたいという人、亡くなる前に大切な遺品を託してくる人もいるという。

中でも先の大戦を生き延びた患者の男性からは死亡する1週間前、日露戦争中に使われていたのと同型の精巧な野砲の模型を託された。この模型を男性はとても大切にしていたという。

医院の出入り口近くに飾ってあるこの模型は患者からの信頼の厚さを表す証しだ。

「定期的に訪問すること自体で、患者や家族に安心感を持ってもらえれば」

少子高齢化が進み、高齢者がいる世帯、高齢者のみの世帯は多い。その中で医師の立場から、医療にとどまらない「安心を与える」という視点から地域を支えていく心づもりだ。

今でも日々の仕事が深夜まで及ぶことは多い。二人三脚で歩んできた妻の京子さん(64)は「もうそろそろ、自身の健康管理も少しはやってほしい」と夫を心配する。

しかし、久藤医師を待っている患者は、まだまだたくさんいる。(福田涼太郎)

久藤 眞 くとう・まこと
久藤内科理事長。昭和21年、三重県生まれ。66歳。三重県立大医学部卒。同大医学部付属病院に勤務、この間、旧宮川村(現大台町)国民健康保険報徳病院、県立一志病院などに赴任。60年に久藤内科を開業。
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