「旭川より北には医師は来ませんから」。その旭川以北の勤務地に挑んだのは7年前だ。
「高校までは東京でしたが、最初に受かったのが山形大だったので。勤務地はもっと北がいいと思いました。スキーが好きですからね(笑い)」
1年の半分が冬といわれる北海道にあって内陸地の風連はことさら厳寒の地として知られる。旭川から宗谷本線で北へ、1両編成のディーゼルカーに2時間弱揺られて風連駅に着く。2月に取材で訪れた際も、風連駅から広がる風景は一面、真っ白、道路の両端には除雪によってできた2メートルほどの巨大な壁面がずっと続いていた。
「きょうは暖かくてよかったですね。20度ありますから。昨日は25度でしたよ」。むろん氷点下での話だ。内地からの人では、スキーが好きなだけではとても勤まる土地ではなく、相当な覚悟が秘められている。
診療所は市立であるため、医師も市の職員の立場にある。職務範囲は診療所での治療にある。それなのに松田医師は大雪で道路がふさがる中でも、自ら運転して、訪問診療をはじめ、特別養護老人ホーム、グループホームに出かけていく。24時間、365日いつでも対応する。
悲壮感はまったくない。むしろ飄々としていて時折冗談を交えて、周囲を笑わせている。そして患者や医療スタッフが異口同音に言うのは「こんな先生は見たこともない」というフレーズだ。
訪問診療に向かう車で助手席に座る看護科長の宮部偉貢子(いくこ)さんはこう言う。「自分で運転する先生はいままでいなかった。とても気さくな先生なんです」。
市の予算の関係からかカーナビが入っていない。宮部さんは「初めての家だと、私が地図を開いて先生に教えながら、あっちかしら、こっちかしらと患者さんの家を探す。冬は道路は雪に埋もれるので、目印がなく大変」と語る。それでも先生が運転することによって機動力がアップし、「患者さんの具合を引き継ぐなどのカンファレンスを車の中ですぐにできてしまう」とメリットも多い。
外来で診察を受けにきた80代の女性は「深夜に血圧が急上昇したとき、先生は、はだし同然で来てくれた。いま長生きできているのは先生のおかげです」。この女性も「こんな先生は風連では初めて」と感謝している。
お役所的な縦割りにこだわらないのがモットー。市内の特養「清峰園」は常駐の医師はおらず、松田医師が嘱託医の立場で入所者の回診を行う。同園の看護係長、真鍋ゆみ子さんは「普通なら自分の診療所で手いっぱいのはず。入所者に異常があったら、松田先生なら365日、24時間いつでも来てもらえる。こんな先生は初めて」。
日頃の定期回診に加え、患者さんから呼ばれれば、「自分が行ってあげないと」と体が動く。特養にも自ら運転して駆けつける。この取り組みは入所者の健康状態を維持することにつながった。数字でも明確に表れている。清峰園の入所者(100人定員)が他の医療機関に入院する日数が平成19年に延べ598日だったのが、23年には90日に激減。もう一つ関わる風連地区の特養「しらかばハイツ」でも外部での入院日数は同様に減っている。
このことは同時に、地域唯一の救急対応の名寄市立総合病院の負担を減らすことにも役立っている。「(急患対応は)総合病院の佐古和廣院長(今年3月で退任)に頼まれたんですよ。頼まれたら断れない性格なので」としつつ、「私が自分の仕事ではないと拒否したら、救急の先生たちが疲れちゃいますよ。こういう問題は、行政の方にはわかりづらいんですけどね」。
旭川と稚内のほぼ中間に位置する風連は人口4500人の地区。主な産業はもち米の生産だ。やわらかい食感が特徴で、全国的に有名なあんころもちの材料を供給している。
30ヘクタールと広大な田んぼを有する農家への訪問診療に、取材で同行させてもらった。患者は83歳の女性。旭川医科大でがんの手術を受けて、「家に帰りたい」と言って戻ってきた。胆汁を体外に出すチューブもまだついていて痛々しい。自宅奥のベッドに横たわる女性に「きょうは元気? どっか痛いところある? ぼくの顔見て元気出してよ」と軽妙な言葉でリラックスさせる。同居する次男は言う。「風連のような小さな地区にも訪問診療があるのは知らなかった。術後のフォローで旭川や市内の病院に母を車に乗せていくのは大変だから、本当に助かる」。
女性は働き者で、ずっと、田んぼの仕事に精を出していたという。こうした農業の担い手の健康を管理することは、結果的に都会などの人たちに農産物を供給することにつながる。松田医師が実践する地域医療は、ひとりの患者への治療にとどまらず、ひいては全国へのかけ橋にもなっている。
少子高齢化や過疎化への対応が遅れ、そのあおりで地域医療がしわ寄せを受け、病院閉鎖が相次いでいる。松田医師のいる風連はそうなっていない。「それはね、だれかがやらないと地域の医療は崩れてしまうから」という思いに支えられているからだ。
とはいえ、医師1人で24時間の呼び出しに対応することは、犠牲も伴う。元看護師の妻、潤子さんとの間に子供は長女(中3)、次女(小6)、長男(年長)の3人。パパと遊んでいたのに、急にいなくなったということも起きている。札幌まで遊びに行ったのに、「ごめん、ごめん、仕事で呼ばれたから帰る」ということも。
救われるのは患者たちの言葉だ。「お父さんにお世話になっているんだよ」「お父さんにいろいろなことをしてもらっているの、ありがとう」と子供たちに話してくれているという。「子供はブーブー言うときもあるんですけど、 患者さんからこのように聞いて、親の仕事を理解してくれますね」
4月で赴任してから8年目を迎えた。「腰掛けなのかな、と思われていた時期もあったようですが、家族もいるし、ここに家も建てていますしね」。
「先生、死ぬときは頼んだよ」と言われることがある。「それは医者冥利に尽きます。私も死ぬまでここにいます」。人生の先を見つめながら日々の診療に当たっている。(大家俊夫)