日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第1回

受賞者紹介
試練から逃げず、住民に寄り添う
鈴木 強
(広島県)
志儀駒貴撮影
困難から逃げない「見敵必戦」の精神でやってきたと語る鈴木強医師

広島県福山市から、北へ約50キロ。高齢化と過疎化が進む神石高原町の「旧神石町」地区に、鈴木強医師の「鈴木クリニック」はある。開業したのは、平成8年。広さ約104平方キロ、人口約2300人のこの地区に、唯一、存在する医療機関だ。

「あてが外れちゃった。とにかく忙しい。田舎の医療には、のどかなイメージがあったから」。冗談めかして、鈴木医師は笑う。患者は朝7時半から詰めかけ、その数は、多いときで1日60人に上る。

看護師4人、事務職員2人の助けを借りながら、診察、レントゲン、胃カメラから縫合まで、あらゆる仕事をこなす。合間に、大きな病院への患者の紹介状や役所への提出書類を作り、訪問診療にも出かける。

体には、不整脈の一種「心房細動」の持病もある。疲れは半端でないはずだが、笑顔を絶やさないのは、「診療所のトップが不愉快な顔を見せては元も子もないから」。そこには、「患者さんに心地よく診療を受けてほしい」という〝患者本位〟の信念がある。

応援してくれた妻

医師を志したのは、産婦人科医だった父親の影響が大きい。ただ、子供のころから数学や物理が得意で、宇宙の話題も好きだった。昭和36年、旧ソ連のガガーリン飛行士による初の有人宇宙飛行を報じた新聞記事のスクラップは、今も宝物だ。広島大学医学部に入学後も、「卒業後は理学部に入り直し、勉強を続けようか」と考えていた。

実際には、勤務医として、ハードな現場にたたき込まれる。

最初に勤めた岡山県倉敷市の水島協同病院では、2年間、内科医をつとめる一方、「手術とか麻酔とかを教えてもらいながら、外科を手伝うようになった」。その後、秋田や広島の病院で外科医としてキャリアを積み、17年前、内科と外科、胃腸科を診る鈴木クリニックを開業した。

地域医療に身を投じた理由については、「都会で競争する野心がなく、『50歳になったら田舎に移りたい』と思っていたから」と控えめだ。神石高原町を選んだのは、「高校時代から近くの帝釈峡遺跡群に興味があったため」という。

妻、暁子さん(66)の応援も大きい。出会ったのは水島協同病院に勤めていたころで、暁子さんは看護師だった。結婚後の言葉は、「あなたの行くところは、どこでもついていく」。開業後は、看護師の役目や経営の事務仕事を、進んでこなしてくれた。

「医師が僻地で開業しようとしても、だいたい、奥さんが『行かん』ゆうて、だめになるんです。その点、妻は、何も言わず助けてくれた」。現在、暁子さんは入院中だが、鈴木医師が、感謝の気持ちを忘れることはない。

患者の人生に向き合う

訪問診療に出向いた有本武さん(左)宅。なごやかなムードが漂う
鈴木クリニックの待合室では会話が弾み、活気があふれる
診察に心をこめる鈴木医師。患者は多いときで1日60人以上に上る

そんな鈴木医師を、2日にわたって追いかけた。1日目は、神石高原町立病院の手伝いでこなしている訪問診療への同行取材。2日目は、鈴木クリニックでの診療の現場だ。見えてきたのは、患者の病気だけでなく、人生に寄り添おうとする真摯な姿だった。

1日目、町立病院を車で出発し、山間のくねくね道やトンネルを走ること約20分、農業を営む有本武さん(80)宅にたどりついた。

築150年になるという旧家で、目の前に広がる田んぼには、イノシシよけの電線が張り巡らされている。鈴木医師は有本さんの体調に合わせ、1週間または4週間に1度、訪れる。

「よう来てくださいました」。イスに座りながら嬉しそうに鈴木医師を迎えた有本さんは、一昨年末、買い物中に脳梗塞で倒れ、今は自宅療養中だ。

「入院中にお会いしたときに比べれば、しっかりしとってじゃ」。有本さんにこうニコニコと話しかけながら、聴診器を胸や背中にあて、不自由な手足がどれくらい動くか、手を添えて確かめていく。

妻の久枝さん(77)への気遣いも忘れない。「奥さんの協力が大きいから、ここまで元気になられたんよ」。時に自分の血圧を測ってみせるなどして、笑いを誘う。「いい先生に巡り合えたと思いよります」。有本さんは、感謝の気持ちを隠さない。

鈴木医師の訪問診療は、多いときで1日3件ほどだ。冬はとくに大変で、40センチ以上の積雪の中を出かける苦労もさることながら、患者宅は古い民家が多く、構造上、エアコンでは屋内が暖まらないため、患者が厳寒にさらされている。「胸をはだけてもらって風邪をひかれたら、目も当てられん。寒い中では、確実な医療は難しい」

啓発に心を砕く

ガガーリン飛行士による初の有人宇宙飛行の記事のスクラップは今も大切にとってある

取材の2日目は、朝からクリニックを訪れた。やはり患者が詰めかけ、鈴木医師は昼過ぎまでに、40人の診療や検査をこなした。

2部屋ある待合室に患者を呼びに来る看護師たちは常に小走りで、自分がどんな作業をしているか、大声で互いに確認しあう。待合室の1つには、10人くらいで囲める大きなテーブルがあり、患者が世間話に興じている。通常の診療所と違い、明るさと活気があふれていた。

月1回、診察を受けにくる76歳の藤井年江さんに聞くと、「よくぞ開業してくださった。家族が病気したときは親身に相談に乗ってくださり、目尻が切れるほど涙が出た」。102歳になる中村茂さんは、「優しいだけでなく、厳しさもある。野菜作りに夢中になりすぎ、『休まないかんよ』と注意されるんです」と笑う。

もともと住民は医者にかかる習慣に乏しく、開業当初は戸惑ったという。診察時には進行がんで、手遅れのケースもあった。その後、農作業のときに水分を準備する大切さを説いたり、転倒防止の体操教室を開いたりして、啓発に心を砕いてきた。

これまで、困難から逃げず、「見敵必戦(=出会う敵とは必ず戦う)」の精神でやってきたという。今後も、「体が続く限り、やる」と、住民に寄り添う覚悟だ。(山口暢彦)

鈴木 強 すずき・つよし
鈴木クリニック院長。昭和20年、旧満州生まれ。68歳。広島大医学部卒。水島協同病院(岡山県)、秋田中通病院、広島共立病院などの勤務を経て、平成8年、鈴木クリニックを開業。診療科は内科、外科、胃腸科。
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