日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第1回

受賞者紹介
家庭を診療所の延長に
中野 俊彦
(大分県)
大橋純人撮影
「住み慣れた土地で最期まで生きたいとの願いをかなえてあげたい」 と語る中野医師

「病気は薬だけで治すのではない。患者の心が燃えるような、その人の関心があることをいかに見つけ出せるかです」

大分市郊外にある直耕団吉野診療所所長の中野俊彦医師は、徹底して患者や住民に寄り添う「かかりつけ医」であり、家庭医である。

いくつかの病院勤務を経て、山あいにあるこの無医地区に家族と赴任したのは平成元年。40歳代半ばだった。

兵庫県で生まれ、愛知県で育った。縁のなかった大分県で働くことになったのは、知り合いの医師から誘われたため。診療所隣に自宅を構え、四半世紀にわたり「365日、24時間対応」態勢で患者に寄り添ってきた。

地域医療への思いは若い頃から強かった。「住み慣れた土地で最期まで明るく生きたいとの住民の願いをかなえてあげたい」との思いだ。

患者の顔が診察券

中野医師が目指すのは、患者や住民の参加型医療の実現だ。その診療スタイルはユニークで中野医師の個性と考え方が実によく表れている。

吉野診療所には、診察券という発想がない。玄関が開けば、直ちにカルテが受付に用意される。職員全員が患者の顔と名前を覚えているのだ。

患者たちが「来るだけで体調がよくなる」と口にする"魔法の空間"でもある。

畳敷きの待合室には大きな掘りこたつが置かれ、診療を終えた患者たちがお茶を飲んだり、紙細工を楽しんだりする。時には中野医師や職員も加わる。医療機関であることを忘れそうだ。

患者と絵手紙での文通をすることによって磨かれたという中野医師の絵画の腕前は玄人はだし。「どうやって患者と楽しく遊ぶかを考えています。患者の日常の仕草を見れば健康状態がよく分かりますから」。中野医師にとって、すべてが診療の延長線上にある。

カルテの書き方も独特だ。病状や診察内容はもちろん、自らが撮影した患者の日常生活の写真が貼り付けられ、まるで患者との交流日記といった趣なのである。

性格や趣味、若い頃にしていた仕事、家族関係など、患者一人一人が置かれている生活環境を次々頭に入れていく。

「この時のトマトは上手にできたね」。「この前、飛んできたこの鳥の名前を調べたよ」。往診先で、カルテの写真を見ながらの思い出話に花が咲く。

もちろん、はじめから患者の協力が得られたわけではない。「『身元調査をするのか』なんて言われたこともありました」。今となっては懐かしい思い出だ。

コンピューター画面ばかりに顔を向け、患者の顔さえ見ないで診断する最近の医師の診察風景に違和感を覚える。「とにかく患者とおしゃべりをすること。患者の身体に直接触れて、五感を働かせて診察しています」

地区全体が診療所

呼ばれれば夜中でも往診に出向く。高齢者にとってなくてはならない存在だ
徹底して患者から話を引き出すのが中野流の診察方法だ
「患者といかに楽しく遊ぶか」。待合室では世間話に花が咲く

中野医師にとっては、地区全体が診療所でもある。「このあたりのほとんどの家に行きました」。呼ばれれば夜中であっても往診に出向く。気になる患者を見かければ、往診車を道路脇に止めて、「調子はどうですか」と声をかける。

診療所に入院ベッドの設置を望む声があっても断り続けてきた。「高齢者が病気になると、家族はすぐ施設入所を考えるが、支えさえあれば自宅で暮らせる。患者にとっては自宅が一番だ」と考えているため。

往診車の窓ガラスには、「診療所を家庭の延長に 家庭を診療所の延長に」と書かれてある。「うちの診療所のベッドが各家庭にあると思ってもらえばいい」。地域全体で医療を支えてもらおうとの発想だ。

一方で家族の支える力が衰えたことも痛感している。いかに病気予防や病人介助のノウハウを分かりやすく説明できるか模索も続く。

「地域おこしのお手伝いをする」というのも大きな方針だ。「どんな薬を出しても、暮らしの基盤である農業が衰えたのでは元気になりようがない」との思いが強い。

診察がない時には、地域の人々と農業に精を出す。この時ばかりは、野菜作り名人である患者たちが「先生役」に早変わりする。

とはいえ、中野医師の探求心は農業でもいかんなく発揮される。専門誌で知った合鴨農法を農家に呼びかけ、生産者と購入者の橋渡し役も行った。冬の「合鴨捌き」はいまや診療所の風物詩である。

地域おこしをリード

写真の腕前も玄人はだし。患者の日常の一コマをカルテに貼って診察 に役立てている

ホタルが飛翔する川を取り戻す活動にも取り組んだ。「育てる会」をつくり、毎年3万匹を放流するなど大分市の名物行事にまで育てあげた。

「よそ者だからこそ、思いつくことがあるはずです」。いまは地区内の由緒ある神社の活性化に知恵を絞っている。

「地域に溶け込むのに苦労を感じたことはない」と言い切る。「こんな楽しい仕事をさせてもらって、ありがたい限りです」と語る表情は生き生きしている。

そんな中野医師を見つめる孝子夫人や診療所スタッフの眼差しは優しい。「先生は何でも上手で、いつまでも少年のような人です」

中野医師の悩みは、学会や勉強会に出かける時間がとりづらいことだ。「医療はどんどん進歩するが、医師が私一人なので、長い時間は空けられない」と話す。

「地域医療を目指す若い医師はたくさんいる。医学部を卒業して数年は国が責任をもって配属し、待遇面も含め若い医師が勉強できる環境を整える必要があります」

無医地区に来て一人頑張ってきた中野医師は、地域医療の行く末を、遠く見つめている。(河合雅司)

中野 俊彦 なかの・としひこ
直耕団吉野診療所所長。昭和18年、兵庫県生まれ。70歳。京大医学部を卒業後、京都南病院や厚生連日原共存病院、国立中津病院などの勤務を経て、平成元年に天心堂へつぎ病院の分院として開設された同診療所に赴任。10年に権利を譲り受け独立開業。
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