日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第13回

受賞者紹介
在宅医療体制の充実、多世代交流の「まちづくり」
中村クリニック 理事長
中村 正廣
(大阪府)
川村寧撮影

大阪城から南東に約2キロ、大阪メトロ中央線・緑橋駅から徒歩3分の距離にあり、スーパーマーケットや公園などからもほど近い「中村クリニック」。都会に位置する好立地な医院の敷地内には、「24時間365日見守る」とうたう介護付き有料老人ホームがある。

「フェース・トゥ・フェースの関係を築いているからこそ、『ちょっと元気がないかも』という変化にも気づけるようになるんです」。毎昼食時にはここで入居者と交流することが日課で、医師人生の大半をここ大阪市東成区で過ごしてきた。

その間、地元医師会の医師や看護師らが職種の垣根を越えて連携を深め、医療を医療機関のみで完結させない仕組みづくりに奔走。そして自らもこのホームの、そして地域の“灯台守”として温かく患者に寄り添ってきた。

患者に尽くす父の姿、原点に

患者とはフェース・トゥ・フェースの関係を大切にする

中村クリニックの前身は、父が開業していた24時間体制の中核病院「中村外科」。自身がまだ小学生のころ、父は胆道癌のため46歳という若さで亡くなった。

医療について語り合うことこそなかったが、それでも「遺してくれたもの」は大きかった。尊敬と感謝の念を持ち、患者のために休まず尽くす父の姿はおぼろげながら記憶に残り続け、その後自らも医師を目指す原動力となった。

父は空挺落下傘部隊の従軍医でもあった。武器を持たず衛生道具だけを携えて戦地に赴いて生還。その後「恩返しをしたい」と、仲間とともに高野山に部隊の墓を建てたことを伝え聞いた。

「自らの命を縮めてでも患者さんのために尽くした父の思いは、消えていない気がするんです」。

住み慣れた街で、自分らしく

敷地内の介護付き有料老人ホームで自らピアノを弾く

「家に帰った一人暮らしの患者さんは誰が面倒を見るのか」。今でこそ在宅医療、地域医療の先駆者的存在として最前線を走るが、長い道のりはそんな問いから始まった。

市民病院などで消化器外科の勤務医として約20年間勤めた。当時は「第一線で医療を続けたい」とメスを持っていたというが、そんなころ、今も強く記憶に刻まれる患者と出会う。紹介状を持って手術を受けに訪れた、胃がんの高齢男性。術後何とか家へ帰せる状態になったが、2週間後に再び会ったとき、男性は歩けないほど弱った状態だった。

患者の男性は一人暮らし。術後に男性をケアできる人がおらず、退院後の生活まで考えが及んでいなかった。「病気を診るよりも、生活を診るフォローアップが必要だ」。そんな思いが出発点となり、開業のきっかけにもなった。

平成8年に父の病院跡地で開業。介護保険制度の始まる年には、時間外でもいつでも対応できるよう敷地内に介護付き有料老人ホームを建てた。住み慣れた街で、自分らしく最期まで。それが思い描いた理想図だった。

東成区医師会内に設置する「在宅医療・地域連携相談支援室」はそんな理想を実現するために生まれた。同室を通じて基幹病院から退院する患者の情報を地域の医療機関へスムーズに提供できるようになった。

自宅療養では、かかりつけ医である在宅医や訪問看護師、ケアマネジャーらが職種の垣根を越えて相談を受け付け情報を共有。支援を行う看護師の資格を持つ在宅医療コーディネーターを設置するなど、病院と地域のかかりつけ医を結ぶパイプ役を置くことで、連携をスムーズにした。

連携において、大切にしてきたことがある。「医者と、看護師やケアマネジャーの立場を水平にしようと心がけてきました。医者が上からものを言うのでは萎縮してしまいイエスマンになってしまうので、人は育たないんです」。理想の実現には余念がない。

満足する生き方、納得する最期を

46歳で亡くなった父の思いを引き継ぐ中村クリニック

借金をして敷地内に建てたという介護付き有料老人ホームも、そんな理想から生まれたものだ。医者が老人ホームを建てること自体、当時は珍しかったが、山奥や海辺などの僻地ではなく都会にあるという点でも画期的。住み慣れた地域で最期まで住み続けられる「エイジング・イン・プレイス」を体現した施設だった。

周辺には買い物する場所もあり、大阪中心部からも近い。寝たきりになった後も家族が面会に来やすい立地で、「元気に自由に出入りでき、安心して住み続けられる場所として始まったんです」。

目指すのは、従来の「病院完結型」ではない「地域完結型」の医療。「病院は死ぬために行く場所ではなく、病院から地域に戻ってもらい、弱ってきたらまた病院に行ってもらうキャッチボールを続ける」。それが、病院完結型を脱却した先にある地域完結型医療のイメージだ。

老人ホームでは食事をともにしたり、イベントに一緒に参加したり、入居者とは家族同様の関係を築いてきた。腹を割って納得のいく最期について話し合えるのは「かかりつけ医」と「かかりつけ患者」の深い信頼あってこそだ。

もっとも、入居1~2年目は設備への注文やちょっとした愚痴を聞くことが多い。ただ3年目にもなると「私はあと何年生きられるかしら?」「私も最期は○○さんみたいにしてもらえますか?」と、次第に自分の話をしてくれるようになるという。

スタッフ一丸となり、「病院完結型」ではない「地域完結型」の医療を提供する

いわく「その人が考える満足する生き方と納得する最期を本人の口から聞けるというのは、老人ホームをつくった大きな目的の一つ」。最期まで住み切る“終の棲家”の役目を果たしている。

平成22年には地元商店街の空き店舗を改造し、高齢者や児童が交流できる場をつくるなど、活動の幅は医療分野にとどまらない。今ではすっかり地域の「慈父」のような存在だ。

「この仕事に終わりはありません。今はいかに継承していくかについても考えています」。在宅医療において先進的取り組みを進める東成区だが、まなざしはもっと先を見据えている。「亡くなった父の思いを絶やさず、顔の見える関係の中でより良い形で継承していけたら」。(藤木祥平)

中村 正廣 なかむら・まさひろ
中村クリニック理事長。昭和23年、大阪市生まれ。76歳。52年、昭和大医学部卒業後、大阪大医学部で学位取得。同大医学部附属病院や東大阪市立中央病院などで勤務し、平成8年に開業した。20~24年に大阪府医師会調査委員会委員長を務めたほか、東成区医師会では理事や会長を歴任。30年からは東成区医師会名誉会長。
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