日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第13回

受賞者紹介
医療・保健・福祉の一体化と多職種連携
おおい町国民健康保険名田庄診療所 所長
中村 伸一
(福井県)
川村寧撮影
診て、触れて、治す。地区ただ一人の医師として多忙を極める

ドライブスルー方式で発熱して飲食できなくなった高齢女性を新型コロナウイルス感染症と診断し、診察室に戻って中核病院に入院するための紹介状を書いたかと思えば、今度はくるぶしに褥瘡(じょくそう)のある高齢男性を診察。薬を塗りながら「うんこ色しとるけど、これがよう効くんや」。付き添いの娘さんは「いつも笑わせてくれるわ」と笑顔だ。

そうこうしているうちに、新型コロナ感染の女性の紹介状の準備が整い、診療所前に。クルマのドアを開けて「また元気になって戻ってきてよ」と大きな声で見送った。

次は健康診断で便に潜血があったという男性の内視鏡検査だ。ポリープを見つけ「あった、あった。これや」と患者に声を掛ける。「これなら心配ない。内視鏡で取れる。きょう検査してよかったよ。ほんとによかった」とまた大きな声が診療所に響く。

男性の内視鏡治療のための紹介状を作成していると、訪問診療に出かける時間を少し過ぎてしまった。すぐにクルマに乗り込みハンドルを握る。10分ほどで、車いすを使い一人暮らしをしている高齢女性宅へ。脈や血圧を確認し「今のペースで、ほどほどに」と食事や服薬の指導をすると、携帯電話が鳴った。

在宅酸素療法を受けている男性が調子を崩して入院を望んでいるとの連絡だった。訪問看護師から状況を詳しく聞き取り、一度診療所に戻って中核病院への紹介状をつくることにし、入院の調整を進める方針とした。

「効率的に良い医療を受けさせることが最も大切。そのために、病状を良く知っている患者本人や看護師の意見を尊重してコーディネーターに徹することもある。なんでも出しゃばっていけばいいというものでもない」という。

名田庄診療所のある福井県おおい町名田庄地区(旧名田庄村)の人口は2000人余り。高齢化率は40%を超える。そこにただ一人の医師として勤務する。使えるものは何でも使うし、頼れるときは頼る。すべては患者のためだ。

地域に愛される「ドロクター」

大病院と違い「自分のやったことが、どう役立っているのかよく分かる」

診療所に赴任したのは平成3年。当時28歳だった。頼れる人はいないと思っていた。だが「ベテランの患者さんは、若い医者が不安なのをよく知っている。豊富な人生経験を生かして育ててくれた」。

当時を振り返ると生意気だったという。「ちょっととんがっていて、人に突っかかって論破したりしてね」。地域の人たちは、そんなドクターに「やんちゃ」を意味する方言「どろくた」をひっかけて「ドロクター」とあだ名を付けた。土地の習慣を教えてくれたり、育てた野菜を持たせてくれたり。「ちやほやはしないけれど、大切にしてくれた」

地域の人たちは無医地区になった時期も経験し、医師を手放したくないという思いも強かったのかもしれない。「伸びしろがあるという期待」を感じながら、地域に溶け込んでいった。

ただ順風満帆だったわけではない。忘れられない誤診がある。嘔吐とひどい肩こりを訴える女性を往診して、くも膜下出血を疑ってはみたが、肩こりの対処だけで帰ってしまった。その直後に命が危ぶまれる局面に至り、呼び出された。やはりくも膜下出血だった。

救急搬送し、祈る思いで専門医に託し、呆然として病院の出口に向かったとき親族とばったり出会った。厳しく責められることを覚悟した。

だが、掛けられたのはねぎらいの言葉だった。「何回も呼び出して悪かった。どんなに一生懸命やっても人は間違うことがある。お互いさまや」

幸い女性は後遺症もなく回復した。この「出来事」などを機に「赦(ゆる)された人間は人を赦さなくてはならない。赦せる人にならなくては」と思い至ったという。成長したドロクターは「育ててくれたこの村に残ろう」と決心した。

「辞めんといて」に引き止められ

訪問診療先で、腰を落とし、患者と同じ目線でやさしく話しかける

現在は、診療所で地域医療の研修医を受け入れる一方で、日本専門医機構のワーキンググループで総合診療専門研修の制度設計に携わるなど後進の育成にも力を注ぐ。ただ、地域医療の道を志す若者は多くない。「大きな病院で経験を積むことや、専門的な道に進みたがるのはよく分かる」と話す。

しかし、大病院では経験できないことができる、ともいう。「自分でやったことが、どんな風に役立っているのかがよく分かる。私はここに赴任して1、2年でハマりましたね」

ただし責任は重く、何度か辞めたいと思ったこともある。だが、そのたびに「不思議なことに、引き留める何かが起きる」のだという。

例えばある鬱(うつ)病患者を巡っての出来事。時間をかけて診察してきたが、手に負えず精神科に紹介した。しかし、患者はその後、自死を選んだ。死体検案も任され、相当に「キツい」思いをした。

「自分は間違っていたのか。しかし、あのまま自分が診ていても良くなったかどうか」。ここを去るかどうか、医師を続けるべきかどうか思い悩んだ。そんな時、患者の家族が「先生、こんなことで、辞めんといて」。誰よりもつらいはずの患者の家族の絞り出すような訴え。受け止め、応えないわけにはいかなかった。

医療だけでは守れない

「あっとほ~むいきいき館」の玄関前で。同館のジェネラルマネジャーと診療所所長を兼務する

診療所は平成11年、介護や子育て支援のほか料理教室といった文化活動の拠点にもなる保健医療福祉総合施設「あっとほ~むいきいき館」に一体化した。行政、地域住民を巻き込んで、アイデアを詰め込んだ施設。誰でも気軽に来られるよう入り口からの動線、受付の位置にまでこだわった。開放的なつくりで、どこで誰が何をしているのか互いに見えるのが特長だ。

自身は同館のジェネラルマネージャーと診療所所長を兼務し、病気の予防から治療、介護まで一体で取り組む。こうした施設は当時珍しく、視察を受け入れることも多かったという。今では同様の施設が各地で徐々に増えている。健康と安定した生活は「医療だけでは守れない」との考えは、どこであっても共通するのだろう。

「ここは元気なうちからみんなが通って交流する場所。年を重ねるとどんな風に生活が変わっていくのか、若い世代も日常的に見ておくことが大事」と語る。目指すのは「親と子、孫が一緒に暮らす大きな家の再現」だ。(粂博之)

中村 伸一 なかむら・しんいち
おおい町国民健康保険名田庄診療所所長。昭和38年、福井県三国町(現・坂井市)生まれ。62歳。平成元年、自治医大卒。3年、名田庄村(現・おおい町)国民健康保険診療所所長。福井県立病院外科(医長)勤務を経て10年に再び同診療所所長。11年4月から「あっとほ~むいきいき館」のジェネラルマネージャーを兼務。
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