日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第11回

受賞者紹介
女性医師が活躍できるように
住友医院 副院長
桜井 えつ
(徳島県)
柿平博文撮影
腹部エコー検査を行う

ベテランのスタッフと、夫で院長の紀嗣さんに支えられた医院の待合室は、いつも多くの患者であふれている。

「確かに待ちますけど、それでも住友医院がいいんですよ」。長年通っているという高齢の男性患者が断言する。5代続けてこの医院に世話になっているという患者もいる。

地域の信頼を一身に集める「えつ先生」こと桜井えつ医師は、「若い職員が少ないから、老老診療所なんですけど」と自虐ネタで笑わせながら、困ったように続ける。

「小さいころから私を知っている患者さんからは、いまだに先生ではなく『えっちゃん』と呼ばれることもあって…」

三代にわたってこの地域の医療を支えてきたからこそのほほえましい悩みだ。

町医者の原点は父

住友医院の玄関で

「住友医院」の歴史は古い。祖父の住友次郎氏が大阪高等医学校(現大阪大学医学部)を卒業して、故郷の徳島市に開いた「住友眼科院」が始まり。娘婿の内科医、住友純氏が昭和30年に2代目として診療所を開業し、父を見て育った娘が跡を継いで今に至る。

「町医者としての原点は父にあります。いつも患者さんのことを考え、亡くなる3日前まで診療をしていました」

58年から平成14年まで父娘で診療をしてきたが、「父の診療にはいまだ遠く及ばない」と感じる。「『おかしいと思ったら大きい病院へ送れ』という父の言いつけを守っています。それでも、すぐに病気を見つけられず患者さんにつらい思いをさせてしまったときは、仕事を続けていいか悩むこともあるんです」

コロナ禍のなか、日々の診療にあたる

悩みながらも医師を続けてきた理由は、医学部時代にさかのぼる。女性が一生の仕事を持つことが珍しく、医局に入れてもらえなかったり、妊娠したらやめないといけなかったりと、働き続けるのは難しいと思われていた時代だ。

医学部の同学年に女性は16人。「医師になるには多くの人の支えが必要。育てていただいたからには、生涯やめんとこ、と皆で話しました」

幸い自分の環境は恵まれていた、と振り返る。医学部時代に知り合った紀嗣さんとの間に授かった2男1女を育てながら、医師を続けた。出産直前まで働いたが、周囲の助けがあったからできたと感謝の言葉を口にする。

女性医師の待遇改善に尽力

「患者さんがどんな生活をしているか訪問診療で把握できる」

診療のかたわら取り組んだのが、女性医師の働き方の改善だ。日本医師会の女性会員懇談会(当時)の中四国ブロックの委員を徳島県から出すことになり、県医師会の会長から頼まれたのがきっかけ。平成11年のことだ。

翌年、徳島県医師会の会報の編集委員になり、新設された「女性医師のページ」で真剣に医療に取り組む女性医師が県内にも多くいることを知った。そうした仲間に助けられ、女性医師の勤務実態、育児中の職場環境などについて調査を行い、学会で提言。14年には、県医師会に全国2番目の「女性医師部会」を立ち上げ、部会長に就任した。

「最前線で活躍する医師の半数近くが女性となる時代が来る。これから育っていく女性医師が、医師として女性として十分に能力を発揮できるような体制や働きやすい環境整備をすることが私たちの役割だ」と医師会などで呼びかけた。

長時間の労働が過酷で出産や育児をする女性に向かないというなら、医師の人的な充足やグループチーム制でカバーできるはずだ。医師不足が叫ばれる中、せっかく育った女性医師が出産や育児のために仕事をやめてしまうのはもったいない。女性医師の復職を容易にするシステムづくりなども提言した。

医院のスタッフと

患者の半数は女性であり、女性の悩みに伴走できる女性医師を増やすことは時代のニーズだ。医学界でも、更年期障害や骨粗しょう症、尿失禁など患者の性差を考慮した「性差医療」が重視されるようになってきた。徳島大学病院に15年、県内初の「女性のための医療相談外来」が開設されたときには、女性医師を派遣するなど協力した。

こうした活動が実り、女性医師への支援体制は徐々に充実。女性医師部会は19年、「男女共同参画委員会」に引き継がれたが、「次は女性医師がどうやって地域医療に恩返しできるかを考えたい」と、23年には臨床内科医学会のテーマとして女性医師に対する地域の要望を調査した。その結果、特に女性患者が、女性医師に大きな期待を寄せていることが分かった。

最後までかかりつけ医として

訪問診療に向け車にカバンを積む

社会の変化に伴い、女性外来をもつ病院は増え、学生の半分が女性という医学部も珍しくなくなった。「今は活動の一線からは引きましたが、女性医師の活動をうれしく見守っています」と語る。その分、かかりつけ医として日々の診療に力を尽くす。家事よりも仕事の方が好き。「料理のレシピは頭に入っていないけど、患者さんの情報は頭に入っています」

子供の頃から、訪問診療に向かう父の姿を見て育った。今でも山を越え、通院が難しくなった患者の診療を続ける。患者がどんな生活をしているかが分かるのが、訪問診療のいいところだという。「患者さんに24時間対応するのは当たり前。夜中に『とても苦しがっとる、犬が』と電話を受けたこともあります」

コロナ禍では、乗用車に乗ったままPCR検査が受けられるよう体制を整え、医院の離れを感染室にするなど対応した。「かかりつけ医として、全部診ます。生きとる間は、ここでがんばりたい」

柔らかな笑顔で、気負いなく口にする。待合室の患者が途切れない理由が分かった。(道丸摩耶)

桜井 えつ さくらい・えつ
住友医院副院長。昭和21年、徳島市生まれ。76歳。45年、徳島大学医学部卒業。高知赤十字病院、国立高知病院(当時)などを経て、58年から住友医院副院長(平成12~14年3月までは院長)。地元小学校、幼稚園で長年、校医、園医を務めたほか、徳島県医師会で女性医師が活躍できる環境づくりに取り組んだ。
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