日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第11回

受賞者紹介
患者に寄り添い「地域の安心のとりで」に
青心会メンタルクリニック/医療法人社団青心会 前理事長
石島 正嗣
(兵庫県)
南雲都撮影

認知症が社会問題としてとらえられるよりも前から、40年以上にわたって、精神科医として認知症の当事者や家族からの相談に応じ、地域住民に寄り添い続けてきた。認知症が進行していくことに不安を抱える当事者や、どう接すればよいか苦悩する家族など、寄せられる悩みは広く、深い。「患者を緊張させず、まずはリラックスしてもらいたい」と、ときには白衣を脱ぎ“医師らしさ”を封印して、友人のように話を聞く。自身ももうすぐ80歳を迎えるが今も地域の「安心のとりで」として、患者と向き合い続けている。

精神疾患と向き合う

患者を緊張させないため、白衣を脱ぐことも

昭和53年、大阪大学医学部卒業後、大阪府内の病院勤務を経て、「精神疾患に苦しむ人々に寄り添いたい」と同クリニックの前身「石島診療所」を兵庫県川西市に開業した。「精神科だけを標榜して開業したのは、このあたりでは私が初めて。開業してやっていけるのか明確な自信はありませんでした」と振り返る。当時は一般の人々の間では、心の病や心のケアについての認識がほとんどない時代。精神科で診察してもらうことは、患者やその家族にとって大きなハードルがあった。そのため、多くの医療機関が「精神科」という言葉を避け、「神経科・神経内科」として開業していた。

川西市の人口は当時、約15万人だったが、同診療所を含め、地域で精神医療を担う機関は2施設。専門的に診療していたのは石島診療所だけだったため、結果的に地域の患者のほとんどを受け入れることとなった。とはいえ、「精神科」の診療内容を理解している人はさほど多くはなかった。診療所に来た患者の訴えで多かったのは、「頭が痛い」「腰が痛くて…」といった身体的なもの。訴えを丁寧に聞き、「灸頭鍼(きゅうとうしん)」などの鍼灸治療を行って、患者の不安を取り除いた。

孤立していた患者たち

「患者の孤立を防ぐことが重要」と語る

徐々に、他の医療機関からの紹介などもあり、精神医療を求めて訪れる患者が増え始めた。同時に、診察しながら話を聞くうちに、「行き場のない患者が多い」ことを改めて感じた。

当時、うつ病や統合失調症など精神疾患に苦しむ患者のほとんどが、人との交流の場を持つことを絶たれていた。患者とともに暮らす家族もまた、孤立しているような状態。「市民権の獲得が課題でした」。

そこで診療するだけでなく、自ら小規模のデイケア施設を開設。名前は「趣味の会」。絵画や手芸などの趣味を通して、ほかの患者たちと交流の機会をもってもらった。患者や家族とともに近くの卓球場で汗を流したり、近くの清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)へ出かけたりもした。患者自身が働き、地域社会の一員として暮らせるようにと作業所を立ち上げ、軍手の包装などを請け負った。市が所有する古い建物の一部を無料で借り、机などの備品は多くを自費で賄った。毎年バザーも開催。患者たちが売る側に回り、地域とのつながりを深めた。

クリニックの前で

精神疾患の患者に寄り添ううちに、当時使われていた「精神分裂病」という言葉そのものが偏見を生む一因となっているのではないか、との思いを強めていった。平成5年には、病院・地域精神医学学会で病名の変更を提案。「病名を変えても意味がない」という意見もあったが、この提案を知った精神障害患者の家族会が、後に日本精神神経学会へ呼称の変更を要望。その結果、「精神分裂病という病名自体が当事者の社会参加を阻んでいる」と学会で判断され、14年に「統合失調症」へ名称が改められることになった。

認知症との闘い

患者の話を丁寧に聞く

うつ病や統合失調症患者に向き合ってきたが、そのうちに、「祖父の物忘れがひどい」「人が変わったようになった」など、認知症を患う高齢者が家族などに連れられて足を運ぶようになった。

幼少期に時間が戻ったかのように振る舞う人。亡くなったはずの自分の母親を探し続ける人。自宅を自分の家と認識することができず、度々徘徊してしまう人。どうしてこうなってしまったのかと、いっしょに暮らす家族たちは悩み、途方に暮れ、「おじいちゃんに暴力を振るってしまった」と声を震わせながら打ち明ける家族もいた。

まだ高齢者の認知症が社会問題として注目される以前のことだ。だが、この先高齢化が進めば、この問題はもっと深刻になるにちがいないと危機感を強めた。

歴代の院長と。現在は娘の聡子さん(左)が院長を務める

平成4年には、市に呼びかけ認知症電話相談事業を創設。当初はポツポツと寄せられていた相談が、16年ごろから一気に増加した。どこに相談したら良いのかわからなかった患者や家族たちの不安や苦悩を受け止め、患者を適切な医療や福祉施設などにつなぐ、セーフティーネットの役割を果たしてきた。認知症への理解が進んできた今も、後輩医師らと継続して相談に応じている。

認知症の患者への対応においても、大切にしていることは、孤立を防ぐことだ。認知症は、定年退職後など人に会う機会が減った高齢者に多く見られる。そこで、一人暮らしの高齢患者たちには、地域のサロンなどへの参加を促し、おしゃべりすることを推奨している。「孤独な人をつくらないことが大事」との思いからだ。

体力の続く限り治療を

地域に寄り添う姿勢を大切にしてきた

認知症への理解は少しずつ深まってきたが高齢化はさらに進み、認知症患者も増えていくと予想される。「だがそれを支える人員は逆に減っていくかもしれない。制度は整ってきたが、苦労している人はまだ多い。私も現役でいられる時間はもうわずかだが、もっと支援制度が広がっていくよう、力を尽くしたい」と話す。

今回の受賞については「自分のやってきたことが社会の役に立てていると実感できました」と控えめに喜ぶ。「体力の続く限り、これからも地域の方と向き合っていきたい」と優しく語った。(鈴木源也)

石島 正嗣 いしじま・まさつぐ
医療法人社団青心会前理事長。昭和18年、大阪市生まれ。79歳。大阪大学医学部卒業後、北野病院、聖隷三方原病院などで勤務。53年、石島診療所開業。平成20年に閉院したが、後輩医師に「青心会メンタルクリニック」として引き継ぎ、自身も勤務する。
page top