日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第11回

受賞者紹介
モノづくりのまちで働く母親らを支え続ける
尾﨑医院 理事
尾﨑 眞理子
(大阪府)
南雲都撮影

母の助言から医師へ

シュヴァイツァーにあこがれ医師の道へ

昨年10月から放送中のNHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」の舞台で描かれるモノづくりのまち・大阪府東大阪市。そんな中小企業が集積するまちで、小児科医として、働く母親らの子育てを支援する地域医療や保育に長年従事してきた。

今回の赤ひげ大賞の知らせに「私が本当にもらっていいんだろうかと思う」と驚く。「夢をかなえようと支えてくれた周囲のおかげ」と感謝や謙虚さも忘れてはいない。

昭和26年、南国土佐の高知市で生まれた。父は教員、母は主婦という明治・大正生まれの両親の元で育った。

幼いころから、母に「仕事を持つように…」と言い聞かせられた。仕事をしたかったのに、女性ができる仕事は限られる時代だった。そんな助言に、何か女性が就ける仕事はないかと考えた。

昭和40年代は理数系の学部に進む女性が少ない時代。教育学部で教員になるか、幼稚園教諭、保育士、薬剤師…。女性が仕事を選べる選択肢は限られていた。

「もうちょっと違うことがやりたい」。そう思い、進路は鳥取大学医学部を選ぶことになったという。

夫の元さんと。公私両面で支え合う
医院の玄関で

医師の道を選んだ理由がある。幼いころ、世間でもてはやされていた人物がいた。ノーベル平和賞の受賞者で、20世紀のヒューマニストとして、アフリカのガボンで現地住民への医療活動などに活躍した医師、アルベルト・シュヴァイツァー(1875~1965)という偉人の存在だった。

「音楽にもたけ、神学者でもあり、医者でもあり、すごくいろんなことができる人物で、あこがれもあった。人に尽くせるような仕事に就きたいと考えた」

専門分野としては、他にも選択肢はあったが、最終的に選んだのは小児科。「子供であれば、赤ちゃんから成長する間に、さまざまな病気にもなるが、元気に成長するのを見ることができる」というやりがいや魅力を感じたためだ。

鳥取大を卒業し、岡山大に医師として入局。岡山大には、地元の高知県に関連病院があったためだ。「親元に帰るにはいいと思った」。しかし、大学時代に知り合った同じ小児科医の元さんと昭和54年に結婚し、関西に移り住むことになった。

元さんは、同じ小児科医として「いろんな知識が正確で、わからないことがあれば教えてくれる。私にはない、尊敬できるところがある」と公私両面で支え合う。自身も子供を持つ親となり「今はおばあちゃんとしての話ができるようになり、自分の経験が仕事にも役立っている」と半生を振り返る。

自らの体験と重ね合わせ…

ウルルの玄関で

複数の大学病院や、市中病院で医師としてのキャリアを積み重ね、平成4年からは夫の元さんの父、弘昌さんが運営する医療法人尾﨑医院(大阪府東大阪市)で小児医療に携わるようになった。

母親として子育てもしながら、育児休業もなく、子供が病気などで発熱があっても休めず、医師として働いた。「医師を選んだのは自分の責任だが、すごく大変だった。子供が急に病気になって保育園などを休んでも、信頼できるところに預けられるような施設があればいいな」と思うようになった。

東大阪市は中小零細企業が集積するまち。共働き家庭も多く、子供を理由に急に仕事を休めないという母親も多かった。

善は急げである。義父の弘昌さんや夫の元さんらの支援もあり、自らの貯金を元手に、今から15年前の平成20年4月、同医院が入る近鉄若江岩田駅の駅前ビルに、病児保育室「ウルル」を開設した。働く母親が仕事を急に休まなくても良いように、急病の乳幼児を一時的に預かる施設になる。

ウルルのスタッフと

同室(広さ約80平方㍍)の定員は1日当たり最大6人。預かった乳幼児らの病気の状況を見つつ、疾患や感染予防などの専門的知識を持つ保育士らがマンツーマンで、朝から夕方まで遊びも取り入れながら、母親が迎えに来る時間まで一緒に過ごす。

開設以来、延べ1万2千人以上が利用した。ただ、不採算部門であり、同医院が赤字を穴埋めする状況が続いている。

がんばる病児保育室のスタッフらには「すごいボランティア精神でやってくださっている」と感謝。同室を訪れると「寝ててしんどい子供らが、ママのお迎えが来ると元気になって抱きつく様子などを見ると、やりがいを感じる」と話す。

国に子育て策充実を

きらりっこのスタッフと

今や地元となった東大阪市では病児保育室「ウルル」のほか、平成19年10月に開設した乳幼児やその母親らが交流できる子育て広場「きらりっこ」なども運営している。

こうした施設は「子育ての悩みを、誰か他の人に聞いてもらえるようなママ友(友達)ができて、気楽になれるような施設を立ち上げたいとも思った」という狙いがある。

自身は古希を過ぎた。それぞれ立ち上げた地域密着の各事業を「できたら、維持して継続できればと思う。引き継いでもらえる方が見つかれば」と後継者探しが目下の課題になった。

特に「ウルル」のような病児保育室は、人口約50万人の東大阪市に2カ所しかないという地域課題もある。国の指針では10万人に1カ所とあるが、東大阪市では「3カ所目ができても、閉鎖に追いこまれる事例もある」と事業継続も難題だ。

今後も日本国内は少子高齢化で、仕事と家庭を両立して働く女性が増えるとみられる。ただ、採算がとれる施設ではないため、施設を継続して運営するのは難しい。

診察室ではやさしい笑顔を絶やさない

このため、国に対し、子育て支援策を充実してもらいたいと強調する。病児保育のスタッフの処遇を「認可保育所や認定こども園の保育士と同様の処遇改善をお願いしたい」とも訴える。そうなれば、病児保育室の運営も少しは楽になるという。

赤ひげ大賞に選ばれたのは「大変なこともあるが、うん・どん・こん(運鈍根)で根気よくやっていたのが良かったのかな」とも考える。働く女性の子育てを支える―。そんな夢を後継者に託す思いを抱きながら、地域の親子らのために生涯をささげるつもりだ。(西川博明)

尾﨑 眞理子 おざき・まりこ
尾﨑医院理事。昭和26年、高知市生まれ。71歳。53年、鳥取大学医学部卒業。小児科医として、岡山大学や大阪市立大学(現・大阪公立大学)などの各病院で勤務し、平成4年4月から現職。19年10月に地域子育て支援拠点「きらりっこ」、20年4月に病児保育室「ウルル」を開設した。
page top