日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第10回

受賞者紹介
依存症の治療一筋/限度のない愛を患者に注ぐ
大石クリニック 院長
大石 雅之
(神奈川県)
飯田英男撮影

白衣はまとわず

穏やかな笑顔で患者に話しかける

眼(まなこ)に温情をたたえ、優しくほほ笑みながら穏やかに患者に話しかける。「職場には慣れましたか」「もう一人でできるようになりましたか」...。男性の患者はその問いに、「自分なりに慣れた」などと真面目に答える。打ち解けた雰囲気を醸したやり取りからは、双方に信頼関係が成立していると知れる。

横浜市中区にある大石クリニック7階の「room4」。大石雅之医師が普段、診察で使っている部屋だ。この患者はアルコール依存症を克服し、順調に社会復帰できている。だが、大石医師は言う。「再発しないよう、サポートをすることが大切です」。きちんと患者が回復するまで、気を抜くわけにはいかない。悄然(しょうぜん)としてうつむく依存症の患者に日常を取り戻させてあげたい―。そうした信念を貫いて、これまであまたの患者と接してきた。

大石医師は、ジーンズに黒色のカッターシャツという装いで、その他の医師もスタッフも白衣をまとっていない。ときとして冷淡な印象を与えかねない白衣をあえて身につけず、患者が身構えないようにしている配慮なのである。

「入院」でなく「外来」で

「患者に日常を取り戻させてあげたい」と語る

大石医師はもともと、麻酔科医だった。だが、患者と相対する中で、話す内容や挙措(きょそ)を分析し、病状を回復させる診療科に魅力を感じ、精神科医になった。依存症の中でもアルコール依存症の治療に携わってこのかた、今にいたる。

アルコール依存症の療法はかつて、「入院」させて患者の自由を拘束し、飲酒をさせない「断酒」の考え方が主流だった。「病院でも酒を飲み、そして騒ぐのだから致し方ないか。いや、別の療法があるはずだ」。そう思い悩んでいたところ、日雇い労働者らが集う大阪市西成区のあいりん地区(通称・釜ケ崎)で、ある精神科医が「外来」治療で実績をあげていると耳にした。

クリニックに出向き、診療の様子を見させてもらい、同じ悩みを持つ人たち同士で話し合わせたりする取り組みなどの大切さを学んだ。昭和50年代のことだった。

「『アルコール依存症には、外来の療法は無駄だ』と言われていた時代です。けれども、入院させて閉鎖病棟に入れるなんて人権侵害だと思ってきた」依存症を専門に扱うクリニックとして横浜市中区で開業したのは、平成3年のときだった。それ以来、アルコール依存症に限らず、さまざまな依存症患者を診察してきた。

クリニックのスタッフと

依存症は大きく3つに分けられる。アルコールやたばこのほか、覚醒剤などの薬物に起因する場合は「物質依存」とされ、ある行為をする過程を楽しむギャンブルや窃盗癖、買い物などは「プロセス依存」と呼ばれる。ドメスティックバイオレンス(DV)やストーカーといった人と人とが絡む依存症は、「関係依存」に分類される。いずれも快楽や刺激を得たくて手を染めてしまうことは共通している。

大石医師が精神科医を志した当時、依存症といえば、アルコールと薬物だった。現代では、これほど多くの依存症が存在しており、精神科医の存在感は増すばかりなのである。

開業資金がない

クリニックの玄関で

「釜ケ崎」で見聞したあらゆることが血肉となり、精神科医としてやっていく道筋に光明が差してきた。だが開業の際には、資金を調達できない難儀に見舞われた。東京都内にマンションを購入したばかりで手元は不如意。当時はまだ、依存症専門の精神科クリニックを開業したい人物に、融通する金融機関はなかった。先輩医師からは「内科を併設した方がいい。精神科だけでは経営が成り立たない」とも助言された。

「とても困ったが、『当然だろうな』と冷めた自分もいた」それでもどうにか親類のつてで調達できた。だが寂しいことに、事務員や看護師らを含め、たった4人で迎えた門出だった。

寿の人たちに愛の手を

妻の裕代さんと

横浜市中区に位置する寿地区の存在はたまたま知った。開業する前、妻の裕代さんとドライブがてら市内の中華街まで頻繁に食事に来ていて、通りすがった際、周辺と風景がだいぶ異なる場所があり、それが寿地区だった。多くの日雇い労働者らが明日をも知れない暮らしを送っている。「釜ケ崎での経験が寿の人たちに生かせる」。そう思念した。

「仕事はない、住む家はない、家族はバラバラ。これでは生活ができない。せっかく刑務所から出所した人でも、こうした状況に置かれたらおのずと再犯率も高くなってしまう」

依存症の治療では、患者の身体、精神など多岐にわたって気を配る。相対で患者の心身がどんな状態であるのか把握し、最適だと思われる療法を採用していく。同じ問題を抱えた幾人かの患者がフリートークをする中で励まし合ったりする「集団精神療法」や、抗酒剤やお酒を飲む気持ちを低減させる薬を使う「薬物療法」、自らの心と向き合い、存在価値や責任を自覚させる「内観療法」など、確立された療法がさまざまあり、併用するなどしていく。

クリニックで治療を受けて回復した人には、仕事場も用意する。老人デイケアのスタッフとして、公園などの清掃員として...。グループホームを設立して住まわせたりもしている。こうして精気を蘇らせる。経過観察はもちろん、怠らない。

依存症の専門クリニック

大石クリニックのビル

大石クリニックの年間の新規受け入れ患者数は現在、約2千人に及び、来院者数は約7万人を数える。厚生労働省からは平成30年、アルコールや薬物、ギャンブル依存症の専門指定医療機関に認定され、令和3年にはストーカー行為の加害者を治療する施設として神奈川県警から委嘱されるなど、精神科医の医療施設として高い評価を得ている。

あるべき依存症の療法を絶え間なく希求し続けた大石医師の営みが、こうした評価に結実している。もとより、同じ姿勢をこれからも貫く。(松本浩史)

大石 雅之 おおいし・まさゆき
大石クリニック院長。昭和29年、広島市生まれ。68歳(2022年5月12日時点)。東京慈恵会医科大学を54年に卒業後、同大麻酔科に入局し、56年には同大精神神経科に入局した。麻酔科標榜(ひょうぼう)医、医学博士、精神保健指定医。平成3年に栃木県立岡本台病院の診療部長を退職し、横浜市中区で大石クリニックを開業した。
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