日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第6回

選考委員
特別賞
震災の経験を基に新たな診療体制の確立に努める
歌津八番クリニック 理事長・院長
鎌田 眞人
(宮城県)
宮川浩和撮影

「俺がやらなきゃ誰がやる」と南三陸に留まり、医療に従事する覚悟を語る、白衣にスニーカーの伊達男。「往診が多いから」がスニーカーを愛用する理由だ。目指すは「若い頃の森繁久彌」と朗らかに笑う。

代々医師の家系。平成7年、父の死去に伴い医院を継承した。「当時、本当はそんなに来たくなかった。継いだのは成り行きです」と振り返る。

真っ黒な波が町を飲み込んだ23年の東日本大震災。避難の際、とっさに持ち出した往診カバンが役に立った。「避難所で地域の人々に出会い、がぜんやる気が出てきた。『ここに医者がいるぞ』と」。

比較的高台にあった薬局が無事だと分かり、隣の整骨院を借りて臨時の診療所を設置。現在まで、そこに医院を構える。当時は不眠などの症状を訴える被災者が多かった。「家族が亡くなった人もいる。事情は深く聞けない」。努めて明るく接し、被災者に寄り添うことを心がけた。

気をつけているのは、常に気さくでいること。患者にはなるべく方言で話しかける。「医者はある意味、コミュニケーション・ビジネス。関西で働いているときは関西弁。その方が壁ができない」と言う。

週に4日程度は、車で高齢者宅へ往診に向かう。「父の代からのなじみの人もいて、みんな高齢化している。肉や卵を食べ、身体を動かし、全員100歳まで元気でいてほしい」と力強く語った。(林修太郎)

鎌田 眞人 かまだ・まさと
宮城県南三陸町の歌津八番クリニック理事長・院長。昭和33年、岩手県二戸市生まれ。60歳。近畿大医学部卒業。平成7年に父の医院を継承。23年に震災の津波で被災したが同年に再開。
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