被災地の地域医療を支える“町のお医者さん”だ。「今日注射する?」と怖がる子供の患者に「うん、頑張ろうね」と優しく励ます。受賞の一報を受け、「被災し、頑張っている先生が東北各地にいる中で選んでいただいたのは光栄です」と喜びを語った。
南三陸町には昭和63年に赴任。豊かな自然と活気ある土地柄にひかれた。
平成23年の東日本大震災では、南三陸町に開設した自院で診察中に揺れを感じ、すぐに患者を帰した。津波警報を聞いて、自らも避難。避難先で診療所が流されるのを見た。「これで終わった」。そう感じた。
わずかな医療器具と医薬品を手に避難所を巡回した。被災者の診療に従事する傍ら、犠牲者の遺体の検案も行った。波が引いて変わり果てた町を歩くと、よく知っている人が路上で裸のまま亡くなっているのを見た。まさに筆舌に尽くしがたい光景だった。
震災後は南三陸町を離れたが、所用で戻るたびに町民から「またやってよ」「帰ってきてよ」と声をかけられた。別の病院で働いていたが、「ここは僕のいる場所ではないかも」と思い始めていた。翌24年1月、町の高台に移転し、診療を再開した。
「被災地医療に携わっている」という力みはないという。「震災直後はそう意識することもありました。私も被災者ですが、現在は震災前と意識に変化はない。南三陸はのんびりしていて、自分のスタイルに合っている気がします」とほほえんだ。(林修太郎)