日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第6回

受賞者紹介
学校での血液検査を訴え、実現
松原病院 理事長
松原 奎一
(香川県)
岡本義彦撮影
子供と接するときは自然と穏やかな表情に

香川県の東部に位置する三木町は、隣接する県庁所在地、高松市のベッドタウンとして利便性も良く、土地も広々として風光明媚。町内に小学、中学、高校、大学の国公立学校がそろっていることから、「文教の町」として子育て世代に人気が高い。生まれ故郷でもあるこの町で50年の長きにわたり、地域住民の健康保持増進に努める。

昭和43年、東京で研修中に父が急死。すぐに三木町へ戻り、25歳という若さで父の後を継ぎ、松原医院(現病院)の院長になった。

まだ研究したい気持ちもあり、徳島大医学部第二内科医員を兼任。徳島と香川を往復し、研究と診療に追われる日々が続いた。「20代は本当に大変だった」と懐かしそうに振り返り、「いつも周りの人が助けてくれた」と、感謝の気持ちを付け加える。

笑顔と温かなまなざしで患者と接する

52年に三木中学の校医になった。生徒と接する中で、肥満傾向の子供が多いことや、病気で来院する子供の血液に異常値が多いことに気づき、学校での血液検査実施を町教育委員会に申し出たが、取り合ってもらえなかった。「生徒の健康は校医である自分の責任」と考え、62年から1年生約300人に対して自費で検査を始めた。

検査は授業を妨げないよう早朝に行った。空腹時の血糖値が必要なため、生徒には検査当日の朝食は取らずに登校させ、町で人気のパン屋から自費でサンドイッチと牛乳を購入し、採血後に生徒に食べさせた。採血と合わせて、食事や運動などについても細かくアンケートを取った。

数値に異常があれば、本人と保護者に望ましい食生活や運動について助言し、経過を注意深く見守った。「異常値を発見して治療するのが真の目的ではない。自分の健康状態を知り、自己管理できるようになってほしい」と力を込める。

児童デイサービスの子供たちからも慕われている

「学校現場での保健教育は、どちらかというと健康情報の教育であり、生活習慣病予防や自らの健康を守るために何をすべきか、という視点に欠けているのではないか。三木中学には町全域から生徒が通っているため、町民に対する保健教育にもなるのではないか」。教育関係者らを2年以上かけて説得し、4年目からは町教委が費用を負担することになった。

子供たちの健康を見守り続ける

丁寧に触診と問診をする
ミーティングではスタッフの説明に耳を傾ける

これまで検査した生徒は約8000人に上る。長年の総合的な取り組みが高く評価されて、三木中学は平成23年度「21世紀・新しい時代の健康教育推進学校表彰」の「全国最優秀賞」に輝いた。提唱してきた学校での血液検査は、24年度からは小学4年生を対象に「小児生活習慣病予防検診」として、全県下で実施されている。

保護者だった50代の女性は「娘は痩せていたのに、コレステロールの値が高かった。家族に糖尿病の人がいたので、遺伝的なものがあるのかもしれないと思った」と話し、食事の内容に気をつけるようにしたという。同じく保護者だった60代の男性は「三木町に引っ越したばかりだったので、子供の血液検査があることに驚いた。ありがたかった」と振り返る。当時、県内から転居してきたが、学校での血液検査は聞いたことがなかったという。また自身が学校で血液検査を受けたという40代の女性は「数値的なことはあまり記憶にないが、検査後に学校で食べたサンドイッチが、ご褒美のようでうれしかったのを覚えている」と、懐かしそうに話した。

「最初に検査した子供たちが、すでに40歳を超えている。中学生だった子供らがどう成長し、自分の体をどのように管理しているのか確認したい」。そんな提案を受け、三木町では24年度から成人式で生活習慣病予防検診を実施している。振り袖姿での採血は難しく、帰省しない成人も多いことから、受診率はまだ決して高くない。

患者の細かな変化も見逃さない

それでも、中学からわずか数年で、びっくりするくらい数値が悪くなっている成人もいるという。「家庭を離れた子供らをどうするか」「受診率を上げるにはどうするか」など課題は尽きない。「血液検査を記念品代わりにしてでも受診率を上げて、今の自分の健康を確認してほしい」。成人後、20代での検診が少ないことも心配でならない。

心配はそれだけではない。独り暮らしのお年寄りのフォロー、発達障害を持つ子供たちへの支援など、小さな町でも次々と課題は持ち上がる。そのたびに患者や行政、研究機関、地域の人たちと真摯に向き合い、解決のために全力を尽くしてきた。その姿勢は、これからも変わらない。

300年続く医家に生まれて

ホームの入所者に笑顔で話しかける

実家は1700年代から続く医家。当然、医師になるだろうと周囲は思っていたようだが、当の本人は医師になるつもりはなかったという。「父親が毎日のように夜中に起こされて往診に出かける姿を見ていたからね。なのに、高校の担任の先生らに説得されて(笑)」と照れ隠しのように悪ぶるも、長男としての責任感と父への尊敬の念があったことは間違いない。

「鳥の声とともに起きよ」。父がよく口にしていた松原家の家訓の一つという。早朝から深夜まで、地域の人々の健康を見守り続けた父の姿と、自分なりの経験を踏まえ、「医者は一にも二にも在宅医療が重要」と言う。患者にとって、すぐに診てもらえる安心感こそが一番の治療だと考える。「夜に病院に来る人にも必ず何らかの事情がある。そこを感じ取ってあげないといけない」

自分の時間はいつも二の次で、常に地域の子供たちや大人たちのことを考え続けた50年。地域の人々から信頼される理由は、その地道な毎日の積み重ねにあるのだろう。

「地域の人たちの健康を守る手助けをすることが、この地で300年医療を通じてお世話になっている松原家の使命です」

松原 奎一 まつばら・けいいち
香川県三木町の松原病院理事長。昭和17年、三木町生まれ。75歳。日本大医学部卒。同大附属板橋病院研修医、同大第二内科副手を経て、43年、父の後を継ぎ松原医院の院長に就任。以来約50年、大学病院および地域の診療所と連携し、地域住民の健康保持増進に努めている。地域の中学校校医として、学校で血液検査を実施するなど、学校保健活動にも精力的に取り組んでいる。
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