日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第6回

受賞者紹介
住民主体の組織を立ち上げ、地域に寄り添う医療を展開
塚本内科医院 理事長・院長
塚本 眞言
(岡山県)
志儀駒貴・中島久仁子撮影
患者への声かけは温かい

「歩いてもらうのはええけど、転ばんようにしてえよ」「焼酎は、ほどほどにな」。柔らかな口調で声をかけ、笑い合う姿に、医者と患者の距離はなく、診察室は温かな雰囲気に包まれる。

岡山県の中央、吉備中央町は、農業を中心とした高原地帯。医院がある円城地域は、人口が約1300人。うち65歳以上の高齢者は半数近くに上り、限界集落も点在するなど、過疎高齢化が進む中山間地域だ。内科副医長として勤務していた大学付属病院を辞め、父親が開業した医院を継承したのが昭和63年。幼少期から育ったこの地で、地域医療に邁進して4月で丸30年を迎える。

父の代からの患者は、皆顔なじみ。家族構成も家庭環境もよく分かる。「イサオさん(息子)は、よう帰ってくるん?」「インコは今、何羽おるん?」患者の日常に寄り添う会話が弾む。手元の手書きカルテには、最近、耳の聞こえが悪く補聴器を新しくしたことなど、多くのメモ書きも加えられ、診察に役立てている。

集いの場を楽しむ高齢者ら

父の代に20代だった患者は今では80~90代の高齢者。戦時中や戦後の大変な時代を生きてきた人生の大先輩。敬意は、気持ちの根底にいつもあると言う。

商店がほとんどなく、公共交通機関もないこの地域で、通院が困難な患者の足の確保に、と平成17年、医療法人として県内初の介護タクシーを導入。19年には、自宅での生活が困難な患者が通所で介護サービスを受けられ、泊まりもできる小規模多機能施設「ユートピア円城」を医院に併設した。

住み慣れた地域で最期までと考える患者に、「少しでも安心して暮らしやすいようにサポートしたい」―。塚本眞言医師の思いは、対話を主流にした日々の診察で培われ、患者のニーズに応えてきた。

家族を思うような気配りで

認知症カフェで話に熱心に耳を傾ける参加者たち

ある水曜日。午前の外来診療を終えると、午後は車で約10分、無医地区に設けたサテライト診療所に向かう。小学校跡地に建てられた公民館の一室が診察室だ。

到着するやいなや、83歳女性がしんどそうな様子で受診に訪れた。体調が悪い理由を聞くと、その日の朝、寒い中を1人で歩いて自販機まで、往復30分かけて、缶コーヒーを買いに行ったという。

すぐに心電図をとり、容体を診る。「救急車呼んで大きい病院に行くほどではないで」という塚本医師の言葉に、女性は安堵の表情を浮かべる。女性は脳梗塞と心筋梗塞の既往歴があり、運動時には軽い息切れ状態になる。寒さも加わり、気分が悪くなったようだ。

介護タクシーを利用して通院
地域全体が見渡せる医院の前で

「外には出ん方がええで。寒すぎる。甘酒や、しょうが湯みたいなあったかいものを飲んで安静にな」。診察を終えても、女性の自宅に湯を沸かすポットがあるか気になり、看護師に確認の指示を出す。家族を思うような気配りは、日常茶飯事だ。

数人の診察を終えると、休む間もなく2軒の訪問診療へ。どちらも険しい山道を登った先にあり、ハンドルを何度も切りかえて進むヘアピンカーブや、冷や汗を流しながらの狭い道もある。それでも通所が困難な高齢患者が待っている。

「本当にありがたい限り」。訪問先の1つ、98歳の義母を介護する女性(68)は、塚本医師の往診に感謝する。「ここのお嫁さんは、本当によう面倒をみてあげられる」。介護する家族へのねぎらいも、また温かい。

休診日の木曜日。円城地域の公民館の一室に、塚本医師の姿があった。持参したDVDで、風景映像とともに昭和の歌を紹介。集まった高齢者らが懐かしそうに口ずさむ。「この映像の景色に負けんぐらいの景色が円城地域にはあると思いますよ。『ここはええで』という場所があったら教えてください。写真撮りに行くから」と呼びかける。

「調子はどう?」と気軽に声をかける

平成26年、地域包括ケアシステムの先駆けとして発足した、高齢者らを支援する地域ボランティア組織「円城安心ネット」が月1回開く認知症カフェの1コマだ。立ち上げに尽力し、代表を務める塚本医師は「高齢者に集いの場を作ることで、横のつながりや地域での自分の存在価値を高め、生きる力になる」と話す。

公民館では認知症カフェばかりでなく、週1回、高齢者らが集い、地元食材を使った住民手作りランチを食べながらおしゃべりを楽しむ「ももカフェ」や健康体操教室も開催している。「みんな心待ちにしているようで出席率はいいですよ」と笑う。車の送迎やランチ作りは、すべて住民自らボランティアで行っているという。

元気なわれわれがお世話する気持ち

患者に寄り添う気持ちは変わらない

「円城地域のいい所は『困ったときはお互いさま』の精神が、住民みんなに根づいている所。元気な人らが地域の子供や高齢者、障害のある人を支えることが自然にでき、役に立っていることが、喜びに変わっている」と話す。

塚本医師が案内してくれた場所がある。地域が一望できる医院の北側だ。「町全体が病院で民家は全戸南向きの完全個室。元気なわれわれが、障害のある方や高齢になられた方をお世話するために長い廊下を通って、個室に寄せてもらっている―。そういう感覚で医療や介護をやっているつもりなんですけどね」。条件が合えば、雲海も望めるという場所に立ち、思いを話してくれた。

小学生のころ、正月前に医者だった父親のバイクに乗り、一緒に往診に行った帰り際、「ありがとうございました」。涙ながらに深々と頭を下げる患者の家族の姿が焼き付いた。人から感謝される仕事の尊さを感じたあの時が、医者を目指した原点と振り返る。

「生まれ変わってもう一度医者になったら、やっぱりこの地域で、同じスタッフで医院をしたい」。そう言って、こぼれる笑顔を見せた。(中島久仁子)

塚本 眞言 つかもと・まこと
岡山県吉備中央町の塚本内科医院理事長・院長。昭和25年、岡山市生まれ、67歳。川崎医科大大学院修了。同大付属病院内科副医長などを経て昭和63年、父親が開業した塚本内科医院を継承。県内の医療機関では初の介護タクシー事業を開始。高齢者らを地域で支える「円城安心ネット」の立ち上げに尽力するなど、患者に寄り添う地域医療を進めている。
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