日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第6回

受賞者紹介
救急医療を担うまちの頼もしい番人
河井医院 理事長・院長
河井 文健
(静岡県)
宮川浩和撮影
往診先では家族のように患者に接する

「調子はどうだい」。うららかな午後のひととき、河井文健医師は聴診器をかけて民家の玄関をくぐり、家族のようにベッドの脇にひざまずくと、94歳の患者さんに話しかけた。

患者さんが「先生、今日は足がむくんでねえ」と訴えると、「そうかい、じゃあ少しマッサージしようか」と、しばらく足を優しくさする。熱を測り左手の包帯を取り換え、「次に来るときはインフルエンザの予防接種をするからね」と柔和な笑顔を向けた。

患者さんと河井医院とは、先代のころからざっと70年近い付き合いになる。「もう親戚みたいなもんだな」と河井医師。患者さんの長男(66)は「先代からずっと家族ぐるみで診てもらっている。今はほとんどの先生が往診しないので、ありがたいことです」と感謝する。

忙しい診察の合間にスタッフと打ち合わせ
患者の訴えには真剣に耳を傾ける

午後2時過ぎ、15分ほどで往診を終えて伊豆急行下田駅から徒歩5分の河井医院に戻ると、待合室は順番待ちの高齢者であふれていた。河井医師は慌てず騒がず、一人ずつ診察室に呼んで丁寧に患者の話に耳を傾け、必要な処置を施していく。

白衣は好まず、年中半ズボン。ハワイ好きが高じて、夏場にはアロハシャツも着る。経過観察のため来院した70年来の友人という沢村紀一郎さん(77)は、「どんな人にも分け隔てなく接して、面倒がらずに一生懸命考えてくれる医者ですよ」と最大級の賛辞を送った。

そんなとき、診察室の緊急電話が鳴った。ウナギの骨をのどに刺してしまった中国人観光客の受け入れ先が見つからないという。「いいよ、僕が診るよ。連れてきて」。即答だった。いつもそう。頼ってくる患者を診察しないまま断ることはない。

モットーは「何でも診る、誰でも診る」。下田は伊豆半島屈指の観光地という土地柄、夏は海水浴客、冬には避寒客が国内外から押し寄せる。言葉が不自由な外国人、慣れない道で交通事故にあう若いカップル、魚に生息する寄生虫で食中毒を起こした親子連れ、海水浴中に釣り針を手足に刺してしまう子供たち…。どんな患者も、まずは診る。

その姿は、下田で暮らし、生涯をこの地で地域医療にささげた両親の姿と重なる。父は外科医、母は耳鼻科医。「父は静岡県内で初めて、いわゆるドクターヘリに乗り込んだ医者なんです」と誇らしげだ。

365日24時間の急患対応

小児科医の妻、栄さんと二人三脚で
患者をリラックスさせる光あふれる待合室

「地元の人は地元で診る」という両親の意志を守るべく、50歳だった平成3年に下田に戻って父の医院を継いだ。その5年後に下田への移住を決意してくれた妻で小児科医の栄さん(74)の協力もあり、つい数年前まで、昼夜を問わず365日、急患に対応してきた。

今でも鮮明に覚えているのは、下田に戻ってから1年が過ぎた4年の夏。大きな事件や事故が極めて少ない穏やかなこの街で、立て続けに重大交通事故が発生した。

7歳の小学生が交通事故にあい肝臓破裂を起こした数日後、今度は植木職人が軽トラックと塀の間に挟まれて内臓破裂でショック状態になってしまった。たまたま下田に来ていた栄さんが麻酔を、河井医師が開腹手術を担当し、夫婦の連係プレーで患者は2人とも一命を取りとめた。

50~60代のうちは、がむしゃらに働いた。朝はサラリーマンが通勤前に受診できるよう午前6時から内視鏡検査や胃カメラ検査を行い、9時から外来の診療を開始。ほぼ毎日病院に“当直”しているので、診察室に出勤するまで1分とかからない。

時には資料を取り出して丁寧に説明する

毎日のように不調を訴えて来院するお年寄りの話を聞き、観光客に薬を処方し、昼休みには往診に駆け付ける。時には救急車で運ばれてくる急患を受け入れたり、車で1時間半ほどかかる第3次救急病院への搬送を指示したりしながら、1日に120~200人を診察する。

夕食後はそのまま“当直勤務”。夜中に扉をたたく近所の患者や、搬送されてくる急患に対応し、仮眠を取っては起こされる。そして翌朝5時半に目を覚まし、また診察室へ。そんな日々を「まるで野戦病院のようでした」と懐かしそうに振り返った。

平成24年に市内に待望の第2次救急病院が開業し、夜間や休日の負担はかなり減った。年齢には逆らえず、かつてのような昼夜を問わない診療はもうできない。それでもいまだに患者には携帯電話番号を記したカードを渡し、連絡があればすぐに対応する。

「趣味は医者、毎日が楽しい」

「医師不足は深刻」と下田の地域医療の行く末を憂える

年間約200万人以上が訪れる一大観光地でありながら、伊豆半島南端の陸の孤島で高齢化率は約40%、人口当たりの医師数は全国平均の7割という医療過疎地の下田。この地で20年以上の長きにわたり、困ったときの駆け込み寺であり、“最後の砦”であり続けている。

そんな毎日を、「仕事が楽しくてしようがない。私の仕事は医者ですが、趣味までも医者になってしまいました」と豪快に笑い飛ばす。「今後何年間“趣味”ができるか分かりませんが、体力と気力のある限り続けたい」と、さらなる意欲は十分。取材の翌日には記者に「顔色が悪かったけれど気になるところはない?」と電話をかけてくれるような、人情派の町医者だ。

唯一の気がかりは、全身全霊で守り続けた下田の医療の行く末。いったんは他の学部に進学しながら医学部を再受験した長男の健太郎さん(43)は、都内で救急医として働いている。

「長男には自由にさせます。戻ってこいとは言いません」と、「後継者に」と望む周囲の期待を受け流すが、その口ぶりからは、自らが郷里に戻った年齢に近づいた長男に寄せる厚い信頼が感じられた。(田中万紀)

河井 文健 かわい・ふみたけ
静岡県下田市の河井医院理事長・院長。昭和15年、下田市生まれ。77歳。東京医科大医学部卒。東京女子医科大消化器病センター、東京都立豊島病院を経て、平成3年に郷里に戻り両親が経営していた河井医院を継ぐ。24年までは同市内唯一の救急対応医療機関であり、現在も夜間や休日の救患受け入れを積極的に行っている。
page top