日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第5回

受賞者紹介
多言語駆使で国内外の患者から信頼
ザ・ブラフ・メディカル & デンタル・クリニック院長
明石 恒浩
(神奈川県)
宮川浩和撮影
注射を怖がる子供には優しく励ます

ある金曜日のお昼前。横浜・山手の高台にあるクリニックの待合室では、ここが日本であることを忘れるほど、欧米人、アジア人問わず外国人が次々と訪れ、院内はタガログ語や英語、時に、仏語やスペイン語が飛び交う。

診察に訪れた英国人男性。観光で訪れた箱根から帰宅後、顔の皮膚の発疹や、かかとの痛みなどの症状が出た、と英語で説明する顔は不安げだ。しかし、明石医師がまっすぐと患者の顔を見据え、時間をかけて症状を聞き出し、病名をまとめた医学書も示しながら説明すると、最後は笑顔で診察室を後にした。

取材日は、予約者数を抑えていたというが、インフルエンザの予防接種を受けたいという母子がいれば自然に受け入れ、注射の痛みに我慢した子供には「Good Job(グッジョブ)!」とほめると、泣き顔だった子供の顔からも笑みがこぼれた。

フィリピンで医学を学ぶ

丁寧な触診で患者に安心を与える

生まれは東京だが、3歳から横浜に移住。貿易商だった父親が英語で苦労したことから、3人の兄弟を全員、山手にあったセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(平成12年廃校)に学び、「英語はここで自然に身についた」。父が東南アジアによく仕事で出向き、欧米に行かずとも英語で医学教育が受けられると、国立フィリピン大の理系学部に進み、さらに比イースト大医学部に進学した。

特に、フィリピン大で学んだ際は、1学期の授業料が1万円未満と低額で済んだこともあり、「恩返ししたい」と思い、イースト大を卒業後、バターン半島にある同大の季節診療所で無報酬で医療に従事した。

27歳のとき、父親から帰国するよう言われたことを機に日本に帰国。ただ、フィリピンの医師免許しか取得していなかったため、帰国後、医師国家試験予備校の公開模擬試験を週末に受けながら備えた。地元の横浜市立大学病院に勤務するイメージを漠然と抱いていたが、偶然、友人と茅ケ崎徳洲会病院に行ったその日に「今度来られる明石さんです」と紹介され、引くに引けなくなり、そのまま徳洲会で働くことに。

流ちょうな外国語対応で患者から笑みがこぼれる

昭和56年から約7年間勤務する中で、米国に留学し、当時最先端の化学療法や、抗がん剤を使った「がん研究」に没頭。帰国後「腫瘍内科」のプロフェッショナルとして活躍した。もっとも「当時はまだ、日本では根付いておらず、なかなか経験を生かせずにいました」。がん治療の専門家として続けるつもりでいた今から30年前。外国人向けの病院として地元から絶大な信頼を得ていた山手病院の院長秘書から病院を引き継いでほしいと依頼を受け、悩んだが引き受けることにした。クリニックがある土地は、かつて自分が学んだセント・ジョセフ・インターナショナルスクールがあったまさに隣接地。「見えない運命の糸に導かれているのかもしれない」とかみしめる。

コミュニケーションを重視

様々な質問をし、症状を詳しく探る
地域に根付くザ・ブラフ・メディカル&デンタル・クリニック

開院以来、「フィリピンからの密航者がずぶぬれでたずねてきたり、アルコール中毒患者も訪れる」が、「来た人はどんな人も拒まずに診療する」のがポリシーだ。時に、手持の金が少ない人もいるが、「払える金額を500円でも払ってもらえれば」とし、「必要な人に必要な医療を与えたい」と話す。

開院後は欧米人が多数を占めたが、ここ数年はアジア系の患者が6割程度を占める、という。インドや中東の方をはじめ、生活環境の厳しさからネパールやバングラデシュの方も日本に暮らしているが、その数は経済環境などにも左右され、「時代時代の流れが見える」と話す。

モニターばかり見て、患者の方を見ないで診察を終える医師が多くなったと言われて久しいが、それとは反対に、相手の表情、目をしっかりと見据え、積極的な触診、相手の疑問に丁寧に応える。「コミュニケーションをしっかりとることがポリシー」とする明石院長の診察を受けた患者の顔は安堵(あんど)に満ちていた。

こうした考えは、徳洲会勤務時に世話になったリウマチの権威、ワグナー医師との出会いが影響している。

研修医時代、いつも言われていたのは、入院患者の病室における医師の態度を指す「ベッドサイドマナー」に関することで、診察の仕方に加え、ワグナー医師は常に「とにかくいつも落ち着いていろ」「患者に対し、紳士であれ」「イライラしたら笑え」と繰り返し教えたという。

一人でも多くの患者を診察しようと多忙を極める

ある日、当直に入り、仮眠をとっていると、朝4時半にワグナー医師から「すぐに来なさい」と電話。行ってみると「ごらん。日の出だ」と。思わず拍子抜けしたが、ワグナー医師の感性に感動したという。

「夕食を終えて、午後10時から午前2時くらいまで、外国人患者らからの問い合わせのメール対応などをしている。一銭にもならないけれど」と苦笑する。それでも続けるのは、患者の笑顔や感謝の言葉があるから。「開業時から30年来通ってくれている90歳代の女性がいる。別の病院で問題ないと診断を受けた方だったが、不整脈の状況からペースメーカーを入れる必要があると診断し、今でもお元気に通院していただいており、折に触れて感謝していただいている」という。

社会貢献活動にも注力

常に患者第一で診察にあたる

クリニックだけでなく、NPO法人「MICかながわ」が主催している、在日のフィリピン人が医療機関にかかる同じフィリピン人らのために行う医療通訳ボランティアの勉強会に、医療用語や病気についての講師として年に数回だが、多忙の中駆け付ける。参加者は「母国語(タガログ語)と日本語、英語を使い、体や病気の働きや動きを教えてくれるおかげで、自然に、わかりやすく説明や通訳ができる」と喜ぶ。

明石医師も、「授業という感覚ではなく、明日から役に立つような時間にしている。皆さんとの会話は楽しいし、自分にとってもプラスになる」と語る。院外の社会貢献活動にも積極的に関わることが、医療への取り組みの充実につながっている。

当面はクリニックを守るが、後継者が見つかれば、「元気なうちに、恩返しも含めて、フィリピンや他の発展途上国で医療に関わることも考えたい」と意気込む。(那須慎一)

明石 恒浩 あかし・つねひろ
横浜市中区のザ・ブラフ・メディカル&デンタル・クリニック院長。昭和28年、東京都生まれ。63歳。比イースト大医学部卒。茅ケ崎徳洲会病院内科勤務を経て、62年にザ・ブラフ・メディカルクリニック(現・ザ・ブラフ・メディカル&デンタル・クリニック)院長に就任。英語やタガログ語など多言語での会話力による安心感から、外国人を中心に幅広く患者を受け付け、地元で絶大な信頼を得ている。
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