ある水曜日の午後、常陸太田市徳田町の国道349号沿いに看板を掲げる「大森医院」の大森英俊医師は、看護師1人と若手医師2人を連れて車に乗り込んだ。
目的地は、同市里美地区の笠石集落にある集会所だ。平成23年から隔週で同集落を訪れ、診察を行っている。特定の場所に複数の患者を集めて診察する「巡回診療」だ。同集落の住民は15人にも満たず、そのほとんどが65歳以上の高齢者で、1人暮らし世帯も多い。また、同集落は険しい山道に囲まれており、通院が難しい。そのため、巡回診療を始める以前は患者が通院をやめてしまい、病状が悪化するケースが多かったという。
「調子よさそうだね」「畑仕事やってるの?」
看護師らが検温や血圧測定を行う間、自らは患者との対話に多くの時間を使う。会話の中から健康状態の小さな変化を見つけることができるからだ。この日も患者一人一人の話に耳を傾けながら診察を行っていた。
集会所の患者らは「優しくて親しみやすい、信頼できる先生」と口をそろえる。10年以上診察を受けている女性は「日々の生活について細かく指導してくれるので本当に助かっている」とほほえむ。
大森医院がある同市北部の山間地域は、高齢化率が40%を超えている。医療機関は大森医院を含め診療所が2カ所。専門的な治療を行う総合病院までは約30キロ離れている医療過疎地だ。寝たきりの患者や足腰が弱って通院が難しい患者も多い。そこで、外来診療や往診だけでなく、医師や看護師が定期的に患者の自宅などを訪れる訪問診療や巡回診療の体制を充実させてきた。
大森医院は大正13年、祖父が開業した。後を継いだ父がリタイアを決意した平成5年、外科医として14年間務めた岩手医科大付属病院を辞め、39歳で地元へ帰ってきた。
「祖父や父の姿を見て育ったので、自分もいつかは帰ってくると思っていた」という一方、「外科医への未練はかなりあった」とも話す。それでも「岩手でやり残した以上のことをここでやる」と決意し、診療所での仕事を始めた。
看護師の妻と二人三脚で取り組む診察の日々。設備や薬剤の豊富さなど、大学病院とは天と地ほども差がある中、患者と懸命に向き合ってきた。そして、ある出来事が、在宅医療の体制整備を進めるきっかけとなった。
寝たきりで通院ができず、自宅で療養していた男性患者の家族から「最近調子が良くない」という連絡を受け、往診したときのことだ。熱が下がらないということで診察すると、原因は床ずれだった。長い間同じ姿勢で寝ていたため、腰から太ももにかけて血流が悪くなり、肌が真っ黒に変色していた。患部にたまった大量の膿を抜くと、腐食した皮膚から骨盤が露出していた。男性は約1週間後、亡くなった。
「医師として、患者にこんな最期を迎えさせていいのか」。男性が亡くなった後、何度も自問した。この男性のように床ずれが原因で病状が悪化する患者ばかりでなく、風邪から肺炎を併発してしまう患者なども多かったという。こうした状況を目の当たりにして、外来診療と往診だけで対応することに限界を感じ「医師や看護師による定期的な訪問が必要だ」と考えた。
平成7年、地元の看護師を3人雇い、訪問看護を開始。これにより、患者の床ずれは激減し、肺炎なども初期段階で対処できるようになった。
さらに9年からは外来診療と並行して、自ら患者の自宅を訪ねる訪問診療を開始。午前中は外来診療、正午から訪問診療を実施し、午後3時から外来診療を再開する。休診日の木曜日は終日、訪問診療に従事した。この時期、休みはほとんどなかったという。大森医師は「忙しすぎて記憶がほとんどない」と語る。それでも「大変と思ったことはない。(訪問診療を)やらない方が大変なことになっていた」と続けた。
18年からは筑波大の医学生らを受け入れ、地域診療の実地研修に力を入れている。これまで実習に訪れた医学生は200人を超え、地域に根ざした医師の育成に努めている。診療所の拡充にも取り組み、入院施設や通所リハビリテーション施設を設置するなど、地域住民の声に応え続けてきた。
17年には社会福祉法人を立ち上げ、医療と介護の連携事業を本格的にスタートさせる。同年、特別養護老人ホーム「えみの里」を設立し、19年には通所で介護サービスを受けられる小規模多機能施設をオープン。23年には認知症の高齢者が介護職員と共同生活を営むグループホーム「すぎの木」を立ち上げた。
大森医師は「医療過疎地では患者は医師を選べない。だから医師は患者のニーズに敏感でなくてはならない」と語る。その使命感を原動力に、「初期医療から最期を迎えるまで地元で過ごしたい」という多くの地域住民の願いを形にしてきた。
同地域に50年以上住んでいる浅野よしさん(97)は足が不自由で、訪問診療と介護を受けている。浅野さんは「亡くなった夫が苦労して建てた家を手放すわけにはいかない」という思いから、東京で働く息子らと離れて1人で暮らしている。不安はないかと問うと「こんなに頼れる先生がいるから大丈夫。地域の人にお世話になれて、私は幸せ者」と笑顔を見せた。
大森医師は「地域医療では、医師が身近な存在であることが大切」と語る。5年、10年のスタンスで患者と向き合うことで、求めるものが見えてくるからだという。自力で食事が取れなくなったり寝たきりになったりしたとき、どんな治療を選び、どんな最期を迎えるか―。時として、家族よりも親身に患者の生き方に寄り添う。
「深い付き合いの中で、患者さんに必要なことが見えてくる。こんなやりがいはほかにない」
大森医師は充実感に満ちた表情でそう語り「外科医としてやり残した以上のことを故郷でやれています」と笑うと、白衣を翻し患者のもとへ向かった。(丸山将)