日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第2回

受賞者紹介
心を治すカウンセリング
下田 憲
(北海道)
宮川浩和撮影
クリニックにある言葉のひとつひとつに
立ち止まってしまう

JR富良野駅から単線の汽車で約50分、北海道のほぼ中央に位置する南富良野町幾寅。高倉健の主演映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影地として知られ、幾寅駅よりも映画で使われた名称「幌舞駅」の表示の方が大きい。今でも観光客が訪れるが、町自体は人口2800人を切る過疎の町だ。

下田憲医師が、この地に「けん三のことば館クリニック」を開業したのは、平成16年のこと。「生きたお金の使い方をしたかった」と話すように、建物はもともと町の人が集まって小さなイベントを開けるようにと下田院長が私費で建てたもので、「けん三のことば館」と名付けていた。

ところが、それまでいた町の診療所を後継に譲り、ことば館の建物を利用して医院を開業することになった。「だからスポットライトのある不思議な医院なんですよ」。建物の名前も引き継ぎ、知らない人には「『言葉の訓練をしているところですか』と聞かれたりもします」と楽しそうに笑う。

患者の「心の声」

どこまでも気軽に往診に行く
下田院長は白衣ではなく、
白の作務衣を着て治療を行う

「ひたすらに耐え、ひたすらに待つというとっても深い愛情が有る」

「憎み合いうばい合う時、何かがほろびる。愛し合い、ゆるし合う時、何かが生まれる」

ユニークな医院名の通り、建物に一歩入ると、もうそこから下田院長の言葉があふれる。診療所のいたるところに、言葉が掲げられているのだ。

「患者さんとの触れ合いでいただいたもの」と話すように、壁に掲げられた言葉はすべて患者の「心の声」だ。「読みながら、泣いて帰る人が何人もいる。すべてを自分に置き換えているんでしょうね」

言葉は1カ月に2度換えている。月曜日の朝3時に起きて墨をすり、前の日までに整理しておいた言葉を4時ごろから書き始める。「患者さんの言葉をメモしておいて、その心を言霊に換える。いい言霊に換えることができたときはうれしいですね」と笑顔を見せる。

下田院長は言葉を書くだけでなく、診療所の7カ所に置く生け花も自分で生ける。それだけで1時間半もかかるそうだが、「患者さんも楽しみにしているので」ずっと続けている。「患者さんを2時間待たせることもありますが、言葉と生け花のおかげでしょうか、不満を言う人はいませんね」

目指すは「安上がりの医療」

この笑顔に患者はさらに安心する

下田院長の治療方針は名刺に自筆で記されている。「悪い薬は用いません。悪い治療も選びません。体を癒すだけでなく、心の癒しもめざします」。東洋医学と西洋医学を併用し、目指すは「安上がりの医療」だ。

その方針に従い、毎日40人ほどの患者に無償で行っているのが鍼(はり)治療だ。手間と鍼の材料代はかかるが、「よけいな薬を使わずに済むので、アレルギー疾患にも鍼治療を行っています。薬の副作用がなく、何よりも安価で良質な医療を提供できます」とその理由を話す。

心の傷はカウンセリングで治す。心の病は薬では治せないと考えているからだ。下田院長自身、幼い頃に虐待された経験があるという。そうした経験もカウンセリングに生かされており、訪れるさまざまな人からじっくりと話を聞く。評判を聞いて、患者は全国から訪れる。「よそから来る人には心の傷を持つ人が少なくない」といい、診察の予約は2カ月待ちになっている。

子供たちもみんな下田院長を頼っている

もともと下田院長は在宅医療の“走り”ともいえる存在で、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介されたことがあるほどだ。以前いた診療所では、120人の在宅患者を抱え、午後はすべて往診に充てていた。

今も乳児から98歳までを診て、気軽に往診も行う。「ここでやれることをやる。救急を作らないようにきちんと管理し、必要に応じて入院施設のある病院につなぐ」。自らの役割をそう心得ている。

アコーディオンで慰問も

トレードマークは、20年以上前から着ているという作務衣(さむえ)だ。治療のときには白の作務衣に身を包む。洋服は持っていないため、「悪いことはできない。どこに居ても目立つから」と笑う。

休日には趣味のアコーディオン演奏で近所の老人ホームに慰問を続けている。もちろん作務衣姿のままだ。

腕前はプロ級。「大学生のころは1200曲暗譜し、これで生活していた。今でも楽譜を見れば大丈夫」というように、学費や生活費を稼ぐために歌声喫茶で毎晩演奏していた。現在もアコーディオンを7台持っており、毎日1時間の練習は怠らない。だから、リクエストがあるとすぐに応えることができる。

「下田先生の温かい演奏を聴いた」という声が聞こえる。そんな声がうれしく、自らもとても楽しんで演奏している。重い楽器を抱えるので、健康法でもあるのだという。

幾寅に開業して丸18年。医院のなかにある「屋根裏部屋」に一人で住んでいる。ここ幾寅を終の棲家と決め、体が動く限り診療を続ける覚悟だ。

下田院長はアコーディオン演奏の慰問も続け、みんなが楽しみにしている

「今、とても満足している。目一杯の医療をやっているから」。下田院長はしみじみとそう話す。

一方で、「患者さんが慕ってくれる。こんないい生活をして許されるのか」と思うほど幸せを感じている。だからこそ、「自分に思い上がりがないか、問い直している」と自らを戒めることも忘れない。

「死ぬまで、どれだけ言葉を残していけるかな」。取材の最後にそんなことを口にした。下田院長が診療を続ける限り、患者の「心の声」はこれからも無限に増え続けるに違いない。(松垣透)

下田 憲 しもだ・けん
けん三のことば館クリニック院長。昭和22年、埼玉県生まれ。66歳。北海道大学医学部卒。国立長崎中央病院、離島の公立病院勤務、北海道厚生連山部厚生病院院長を経て、平成16年、けん三のことば館クリニックを開設。
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