本日、栄えある「日本医師会 赤ひげ大賞」および「赤ひげ功労賞」を受賞された先生方、誠におめでとうございます。
今から何年前のことか忘れましたが、日本の医療、国民皆保険は制度ができたときと今とでは随分と変質をした、ということが書いてある書籍を読んだ記憶がございます。国民皆保険制度ができたときは、結核に代表される感染症、あるいは労働災害が対象でございました。ある意味、国民が等しくリスクを負っていたというべきものかもしれません。今やがん、あるいは生活習慣病、あるいは認知症というように疾病の種類が変わってまいりましたので、みんなが等しくリスクを共有していた時代とは、医療というものは変わってくるのだろう、そしてまた「治す医療」から「治し、支える医療」へと変わっていくのだろうと思っております。
受賞された皆様方は、地域に根付き、長年にわたり住民の皆さまの生活を医療の面で支えてこられた方々であります。
「赤ひげ診療譚」は山本周五郎の昭和30年代の小説です。昔、三船敏郎と加山雄三が主演の映画を見た気がします。江戸時代のことです。三船敏郎扮する小石川療養所の医者と、長崎で医学を学んで正義感に燃える若い加山雄三演じる医者が色々なやり取りをするという内容だったと記憶しております。
そこでこういうやり取りがございます。赤ひげがこういうことを言う。「現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対する闘いだ。貧困と無知とに勝っていくことで、医術の不足を補うほかはない」と。「それは政治の問題ではないか」と若いお医者さんは思うのですね。赤ひげはこう答えます。「それは政治の問題だと言うだろう、誰でもそう言って済ましている、だがこれまでかつて政治が貧困や無知に対して何かしたことがあるか、貧困だけに限ってもいい、江戸開府この方でさえ幾千百となく法令が出た、しかしその中に、人間を貧困のままにして置いてはならない、という箇条が一度でも示された例があるか」と。
何か、どこの時代の話だろうかと思うようなことでございますが、いつの時代も医療というものと、政治というものはそういうものなのかもしれません。
日本人の医療リテラシーは高くないという指摘もあります。ある調査では、お医者様の言っていることが理解できていると回答した人の割合が、日本は他国よりも低いそうであります。なぜかというと、高校に保健体育という学科はあるのですが、大学の入試に出ないので、誰も勉強しない、こういうことが本当にあっていいんだろうかと思ったことがあります。
赤ひげの先生方、それぞれの地域で医療に貢献しておられる先生方は、本当に人々の安心、頼みの綱であり、心のよりどころであります。私は医者ものの小説は結構好きで、もう亡くなりましたが、渡辺淳一さんの小説も随分読みました。初期の作品の「無影燈」に、若く正義感に燃える医者と、ベテラン医者との対話がございます。日本における医学教育というのは一体何なんだろうかと、本当に納得した治療、納得した人生の終わり方、そういうことを考えねばならないのではないか、というような場面があったことをよく覚えております。
やはり人々にとって、医術だけではない、人生すべてをかけたパートナーというのがお医者様であり、本日の表彰を受けられた先生方だと思っております。
医学はこれから先も進歩していくでしょう。私は昔、厚生労働の仕事をやったことがあるのですが、「名医という言葉があるうちは、医学は科学ではない」と教わったことがございます。そして、新型コロナウイルスへの対応では、本当に良心的に、一生懸命やられた方ほど疲弊したということは、私はなかったとは申しません。
21世紀は感染症の世紀だと言う方がおります。我々は未踏の世界に生きていかなければなりません。そして80年後には、日本の人口が半分になるとの推計もあります。こうした時代において、医療の持続可能性を維持していかなければなりません。日本の医療の在り方につきましても、今回の受賞を機に、先生方にご教授を賜りたいと考えているところでございます。
いずれにいたしましても、今回受賞された先生方は、医学者、医術者としてだけではなく、人間として素晴らしい方々です。「あの先生がいてよかった」と、どれだけ大勢の人たちが思ったことか。その存在は何物にも代え難いものだと思っております。受賞を心からお慶び申し上げますとともに、選考に当たられました先生方と、主催されました日本医師会の皆様方に、心から感謝と御礼を申し上げまして、ご挨拶といたします。