日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第12回

受賞者紹介
小児科に保育園や親子支援館を併設、働くお母さんを支える
きたの小児科医院 院長
北野 明子
(福岡県)
渋井君夫撮影

福岡県の中南部、筑後地方に位置する朝倉市に「きたの小児科医院」はある。その敷地内には病児保育もできる「ピッコロ保育園」、働く母親を支援する「すこやか親子支援館 ピッコロ」が併設されている。3人の子供を育てながら、40年近くこの地で小児科医を続けて積み重ねてきたが、「まだ理想通りではない」と語る。

3人の子を連れて南アフリカへ

開業医の仕事と3人の子育てを両立させた

福島県喜多方市から親の転勤のため高校2年で大分市に転居。ここで出会った友人の影響もあって医学の道を目指すことになった。「優秀な人が多くて刺激を受けたんです。同じクラスから4人も九大医学部に進みました」という。大学で出会った正剛さん(現・大分大学学長)と卒業後に結婚。昭和58年に夫の留学先だった南アフリカ・ケープタウンに同行した。このとき3人の子供は5歳、3歳、3カ月というからその行動力に驚かされる。

「感染症やワクチン、アレルギーなど英国医療の影響を受けた海外の状況を経験できました。人種差別や貧富の差もあり、虐げられた子供は入院しても声もあげない、心がやられていると訴えることもできない現実を見ました」。アパルトヘイトが残る時代、白人と黒人で病院が違うなど劣悪な環境で育てられる子供の姿も目にした。一方で日本人は名誉白人とされ、病気の子供を預かってもらえたり、外国人でも無料ワクチンが接種できたり、当時の日本よりも進んだ子育て環境も経験できたという。

帰国後、福岡市立こども病院を経て昭和61年、建設機械を扱っていた福岡県甘木市(現朝倉市)の夫の実家の敷地内に医院を開院。「子供を育てながらキャリアアップは難しい。開業したほうが子育てにはいい」と考えたという。34歳、下の子はまだ2歳だった。医師会の救急夜間輪番などもあり、「普通の家族のようにはいかなかった」と苦笑する。さらりと振り返るが、開業医と3人の子育ての両立の苦労は想像に難くない。だが、そうした経験が役立っていく。

働く女性に応える病児保育室

南アフリカ共和国に留学し、日本の医療との違いも感じた

平成12年に地域初の病児保育室を開設した。「県から打診があったとき、すぐに手をあげました。イクメンとかなかった昔は男女の役割分担というか、(子育ては)自分の手に全部かかってくる。仕事中に子供が熱を出してどうしようとか、どこに預けようとなる。働く女性は本当に大変なんですよ」。自身の子育て時代はそうした施設はなく、熱があっても子供一人で留守番ということもあった。男女雇用機会均等法で働く女性が増え、その必要性は高まっていた。

同じころ、日本小児科医会認定「子どもの心相談医」を取得した。「発達障害など心の問題で不安になるお母さん、子育て経験がなく自信を失っているお母さんが増えた」。かつては兄弟も多く子育てを見たり、自分も参加したりしていたが、いまはそれがない。子供を授かって初めて大変さを知る人が増え、インターネットを見ても情報が多く何が正解かわからない。身近に相談できる人がいない、相談したくないケースもある。開業当初は感染症などへの対応が中心だったが、徐々にこうした必要性が高まっていたという。

夫と小児科医の長女とともに

18年に禁煙外来、栄養相談を始めたのも「子供の環境をよくするには親を啓発していかないと」という考えからだ。せきが止まらないという子供を連れた親の胸ポケットにタバコの箱がある。「そこに毒ガスがあるからじゃないの」。子供のためならタバコをやめられる、それは親の健康にもプラスになる。そう考えて指導を続けた。親の食生活は子供の健康に直結する。高カロリーなジャンクフードを食べ、運動しない生活は肥満や生活習慣病につながる。子供の環境を良くするために講演会などでも訴えてきた。

22年には親子が交流し、学び、遊ぶ場所として「すこやか親子支援館 ピッコロ」を医院の隣に建てた。「授乳や離乳食の方法、アレルギーへの対応など子供にあわせて具体的に相談できるところがあったらいいよねということで栄養士さん。発達障害の子供はどうしてそうなってしまうか分からないけど叱られて困っている。親もそれを止めなさいと言って悩んでいる。そうした親子に対してはカウンセラーに寄り添ってもらう」。専門機関は混んでいて何カ月も待たなくてはならないが、それまでの間、親と子供をサポートしていく。

「できることから」続けてきた

きたの小児科医院には病児保育併設型「ピッコロ保育園」もある

ピッコロは、ベビーマッサージ、絵本の読み聞かせ、ダンス、ピアノ、健康教室、食育などさまざまなイベントがあり、親と子が遊んだり、学んだりできる場所となっている。こうした施設を自治体が作ることは珍しくないが、民間医院の敷地内に自ら作ってしまったことに驚かされる。「そこに行けば子供のことを何でもできる、そういう施設を作りたかったんですよ」。

令和3年には病児保育併設型の「ピッコロ保育園」も敷地内に開園した。園長は0歳で南アフリカに行った長男。長女も小児科医として医院で一緒に働いており、「普通の家族」のような子育てができなかったと述懐するが、どうして子供たちは母の背中をしっかり見ていたようだ。

後進、という意味では同医院の患者の中から女性医師が4人誕生しているという。人口5万人弱の地方自治体の一地域としては特筆すべきものだろう。「私を見て、この世界楽勝と思ったのかも」と笑うが、身近なロールモデルだったことは間違いない。地域の人もまた、その姿をしっかり見ていたようだ。

自身の経験や社会の変化、地域の要請に対応する形で必要なことを実施してきた。「どうにかならないかなあ…と思いながら、できることから」続けてきた結果が現在の姿だ。世の中の変化とともに子育ても変わってくる。子供とその親に何が必要か。常に考え、そしていまも寄り添い続けている。(中野謙二)

北野 明子 きたの・あきこ
きたの小児科医院院長。昭和27年、神奈川県藤沢市生まれ。72歳。51年に九州大学医学部卒業。福岡市立子ども病院感染症センター勤務を経て、南アフリカ共和国に留学の後、61年、きたの小児科医院開業。病児保育室や親子支援館、病児保育併設型小規模保育施設を開設するなど、子育て環境の改善に取り組んでいる。
page top