日本医師会 赤ひげ大賞

小冊子

第7回

受賞者紹介
豪雪地域で地域医療を牽引
大里医院 理事長
大里 祐一
(秋田県)
大西正純撮影
冬の往診は白衣に長靴スタイル

険しい雪道をオフロード型四輪駆動車が力強く走る。午前中の外来診療を終えた後、午後を訪問診療に充てている。白衣に長靴。これが大里祐一医師の冬の往診スタイルだ。「これが、夏になると、白衣とゲタになるんですよ」と快活に笑う。

鹿角市は秋田県北部に位置する人口3万1437人、高齢化率37.8%(平成28年)に達する高齢過疎地域だ。市内には13の医療機関があるものの、人口10万人当たりの医師数は秋田県の平均値の65%にとどまっている。一方、その面積は広く、多くは中山間地域であり、無医村地区が2カ所、準無医村地区が1カ所ある。また、冬季は寒冷豪雪のため、一部通行止めになる区間があり、日常の交通インフラに支障をきたしている地域もある。そんな中、大里医師は、昼夜を問わず患者宅を訪問し、診療に当たってきた。患者の容体が急変すれば、真夜中に呼び出されることもしばしばだ。

普段の訪問診療は一日に6件ほど。患者個人の自宅のほか、グループホームや介護施設なども見て回る。遠いところでは、16km先まで車を走らせるが、「苦に思ったことは一度もない」と言う。

勉強になるのは凶作の時

3代続く大里医院

大里医院は明治24年、祖父の文五郎氏によって、鹿角市花輪地区に開設された。以後、128年もの間、父の文祐氏、祐一氏と3代にわたって、地域住民の医療・保健・福祉の向上を牽引してきた。「働いている人たちが受診しやすいように」と日曜日も診療を行い、地域住民から絶大な信頼を得ている。

大里医師が父から医院を継いだのが昭和47年。地域での救急から在宅にいたるまで一貫した診療に取り組んできた。その歩みは、「地域医療」という言葉が一般的に使われていなかった時代から地域で生活している人々に寄り添う姿勢で貫かれている。

地域に密着した医療活動

医師を目指そうとしたきっかけは、「何も崇高な志があったわけではなく、じいさんとおやじがやっていたから。田舎の医者としては、それが当たり前のことだと思っていた」と話す。訪問診療がいまのように普及する以前から、山間の豪雪地域である八幡平地区の往診を行ってきたが、これも「おやじがやっていたので、何も特別なことだとは思っていなかった。じいさんも人力車を使って回っていたという話を聞いています。医者と芸者は座敷がかかったら、行かなければならないんだというのが、昔から私の流儀ですから」と言う。

海外登山の経験も豊富で、アフガニスタン、ネパール、パキスタン、チベット、インド、中国などの遠征隊に医師として参加してきた。「これは、趣味というより生活だね」と笑う。

常に笑顔で患者に対応

平成7年の阪神淡路大震災の際には、寝袋を背負って神戸市長田地区の小学校にいち早く入り、医療活動に当たった。この時には、海外登山の経験から登山用のガスボンベを持参し、物資不足の診療現場で喜ばれたという。平成23年の東日本大震災の際も、同じように率先して被災地に入り、救援活動に当たった。

「米でも何でも豊作と凶作を繰り返す。勉強になるのは、凶作の時なんですよ。だから、そこへ行って勉強するべきだというのが私の持論です。野球でもパチンコでも、負けた時の方が勉強になるんです」

医療活動の中で「苦労したことはない」と語る

約半世紀にも及ぶ医療活動の中で、「一番苦労したことは?」と尋ねると、「ないね」ときっぱり。「たとえ、あったとしても忘れる。何しろ、生きているんだから。終戦当時の食う物がない時と比べたら、屁でもない」と笑い飛ばす。

年々増える孤独死

働いている人のために日曜日も診療

平成元年からは、警察医としての活動も行っている。警察と協力して検案を行い、死体検案書を書く仕事だ。これまでに約1500件の検案に当たってきたが、同地区は、高齢独居者も多いことから、孤独死のケースも多い。「死体検案で行っても、死んで1週間後とか、2週間後とかいうことが年々、増えてきています。仏さんはかわいそうですよ。昔は、家の前に牛乳瓶が並んでいる。あるいは、新聞が取り込まれていないということで気づくということが多かった。いまは牛乳も新聞も取らないという人が増えてきている。近所の人が、電気が何日も付けっぱなしだということで気づくというケースもあります。孤独死をどうやって防ぐのかというのは、市長ともいろいろ話すんですけど、これからの課題ですね。だんだん世の中が変わってきて、人間関係が希薄になっている。これも仕方のないことなのかなぁ」と少し寂しげな表情を見せた。

また、最近、世間を騒がしている児童虐待事件の数々にも心を痛めている。「日本という国、日本の国民はどうしてこうなっちゃったんだろう。本当に嘆かわしいことですよ」

医師としての活動だけにとどまらず、平成3年には県議会議員に選出され、通算5期務めた。平成23年には県議会議長にも選出されている。この間、県に対してさまざまな提言を行い、医療の本質を見失うことのないよう、県の医療政策に医師の姿勢を反映させる支柱として活躍してきた。

地域住民からの信頼は厚い

そんなオールマイティーな大里医師にも苦手なことがひとつだけある。それは、患者から「ありがとう」と言われることだという。

「困っちゃうんだよね。ありがとうと言われると、つい、その気になっちゃうから。もう年だから、日曜診療もやめたいんだけど、やめられなくなってしまう。正直、この赤ひげ大賞にも困惑しているんですよ。そんなたいしたことはしていないし、満足なことができているとも思っていませんから」

そう照れ笑いを浮かべながらも、あくまでもその表情は柔和だ。

83歳になったいま、登山こそやめたが、健脚ぶりに変わりはない。今日もいつもと同じように、白衣に長靴姿で、患者のもとへオフロード型四輪駆動車を走らせている。(本間普喜)

大里 祐一 おおさと・ゆういち
医療法人春生会大里医院理事長。昭和11年、埼玉県浦和市生まれ。83歳。東北大学医学部卒。大館市立総合病院内科勤務の後、昭和47年、父・文祐氏の後継として大里医院を継承。平成24年には介護療養型老人保健施設大深を併設。
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