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冊子

第9回

受賞者紹介

99歳現役、進取の気性と飽くなき向上心

伊藤病院 名誉院長

伊藤 博

(石川県)

寺口純平撮影

患者に優しく話しかけながら診療する

医師になって78年、伊藤病院の院長職は長男の順さんに譲ったものの、現在も週1回の外来診療のみならず、2回の入院患者の回診も担当する。患者さんからは「大先生」と呼ばれ、昭和45年の同病院開業から50年以上通う患者も。その1人である90代の女性は「私の話をよく聞いてくれるので、安心して健康管理をお任せできる」と語る。

医師としての歩みは、戦後の高度成長期を経て、がんをはじめとする生活習慣病の比重が徐々に高まっていった歴史と重なる。

4代続く医師の家系に生まれ「幼いころから医師になるのが当然との気持ちで育った」と振り返る。昭和17年、金沢医科大学付属医学専門部(現・金沢大学医学部)を卒業。同時に陸軍軍医学校に進み卒後、金沢陸軍病院に赴任し約1000人の衛生兵の教育を担当する教育隊長も務めた。

その当時、病院食として、腎臓病、肝臓病、糖尿病などの疾患別の食事を同僚の軍医数人と考案。それが評判を呼び、他の医療機関にも広まっていった。後日、診療報酬の加算が認められ、現在の医療現場では欠かすことのできないさまざまな種類の病院食の源流になったと思われる。

福井地震で防疫活動

金沢市の保健事業にも貢献

戦後は国立金沢病院(現・金沢医療センター)に勤務して、内科と研究検査科を兼務、後に研究検査科長となった。その時代に大きな経験をしたのが、東日本大震災、阪神大震災に次ぐ戦後3番目の大きな被害となった福井地震(昭和23年6月28日、死者数約3800人)の際の防疫活動だ。

発生後すぐに同僚らと救護隊を結成し、翌日に震源の福井県丸岡町(現・坂井市)に入り活動を開始。医学生時代から細菌学・感染症に取り組んで来た経験を生かし、「各避難所などに出向いて腸チフスなどのワクチン接種や井戸の消毒をひたすら行った」と振り返る。それらの結果、現地での腸チフスや赤痢等の蔓延(まんえん)をほぼ完全に押さえ込むことに成功、衛生状態が現在ほど良くなく、井戸水を飲用に使うなどの理由から保菌者が多かった当時としては画期的な成果だった。

胃カメラ普及に尽力

「金沢総合健康センター開所式」パネル。センターの開設と運営には深くかかわった
犀川のほとりに建つ伊藤病院

昭和20年代の終盤からは、胃がんの早期診断に威力を発揮する胃カメラの普及に尽力する。きっかけは、当時のレントゲンで胃がんの診断を行い、患者を外科に紹介して手術に立ち会うたびに「摘出された胃を見ると、術前の診断と合っていないことが少なくなく、〝これで医者といえるのか〟と自責の念にかられたことだった」という。

そこで、東大病院など国内で2、3カ所しか胃カメラが導入されていない28年に東大の田坂内科8研へ視察に赴き、29年、北陸地方で初となる胃カメラの臨床応用を国立金沢病院で開始。34年に日本消化器内視鏡学会の前身である日本胃カメラ学会が設立されたので35年には代表世話人として全国に先がけて胃カメラ学会北陸地方会を発足させ、北陸全域での普及に尽力した。「初期のころは、私のところで研修を受けてからでないと胃カメラを販売してもらえないということもあった」と述懐する。

かつては部位別のがん死亡率(年齢調整済み)でトップだった胃がんだが、その後の胃内視鏡検査の普及により減少の一助となったと評価されている。自身が39年に伊藤内科を開業した際も、北陸で初となるX線テレビ室、内視鏡室、臨床検査室を設置するなど、当時としては最先端の施設づくりを行った。

北陸地方での普及に尽力した胃カメラを手にする

53年からは金沢市医師会の理事となり、救急医療体制の確保と充実に奔走する。当時、地域に夜間急病センターがなく、その設置をめぐり「話が出ては消え…と長い間の懸案だった」。そんな中、それまでの地域への貢献によって行政から厚い信頼を受けていた伊藤氏の熱心な取り組みにより、スムーズに予算措置もなされ、55年の財団法人「金沢総合健康センター」設立、休日夜間急病診療所開設へと結びついた。

文化の薫り高い土地柄、自身の患者に文化勲章受章者や人間国宝の工芸家がいたことなどの影響から美術鑑賞が趣味の伊藤氏だが、「総合健康センターが設立された際は、建物内の各部屋が殺風景だったので、自宅から何点か絵画、花瓶などを持っていったことで当時の金沢市長から特別の感謝状を戴いたのもいい思い出」と語る。

大切な「5カ条」

父の志を受け継ぎ病院長を務める長男の順さん(右)

伊藤氏が長年、「かかりつけ医の大切な仕事」として自身で守り、後進にも伝えてきた5カ条がある。①感染症への適切な対応②がんの早期発見③さまざまな生活習慣病に対する適切な取り組み④認知症への適切な対応⑤高齢者を守るため、生活機能を維持して健康寿命を延ばす――だ。感染症の専門家として、新型コロナウイルスの感染拡大の以前から、第1条に感染症を挙げていたことは注目に値する。コロナ禍でのかかりつけ医の役割については「コロナの影響で健康診断の受診率が下がり、疾患の早期発見に結び付きにくくなっている中、その点に細心の注意を払うことが大きな使命」と言い切る。

よく耳を傾け、コミュニケーションを欠かさない

長男で現・伊藤病院院長の順さんは父親について「鉄人」と評する。体力や気力だけでなく、内視鏡の普及に心血を注いだ後は「〝糖尿病との闘いや超音波診断が重要となる時代が来る〟といって学会や研究会に勉強に出かけていくなど、新しいものにどんどん挑戦する強さがある」という。実際、白寿となった現在も定期的に大学の専門医を招き、画像診断の検討を行うなど、向上心は衰えない。

「父の背中を見て育った」という順さんだけでなく、次男の透さんも現在、金沢医科大学病院長を務める。さらに7代目となる孫の理佳さんも医師の道を歩むなど、その志は確実に受け継がれている。(山本雅人)

伊藤 博 いとう・ひろし
伊藤病院名誉院長。医学博士。大正11年、金沢市生まれ。99歳。金沢医科大学付属医学専門部(現・金沢大学医学部)卒業後、陸軍軍医学校を経て金沢陸軍病院勤務。終戦後は国立金沢病院(現・金沢医療センター)内科・研究検査科(細菌学および感染症)に所属、内科医長・研究検査科長を務めた後、昭和39年に同市で伊藤内科を開業、45年には近隣で移転し伊藤病院を開院、平成15年まで院長。現在も名誉院長として週1回の外来を担当する。