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第5回

受賞者紹介

島民の「最後の砦」守り38年

薩摩川内市下甑手打診療所 前所長

瀬戸上 健二郎

(鹿児島県)

永田直也撮影

のどに魚の骨が刺さった患者を診る瀬戸上医師

東シナ海に浮かぶ離島、甑島。海から昇る太陽に照らされ、さまざまな色に光輝いたことから古くは「五色島」と呼ばれた。列島南部に位置する下甑島は鹿児島県薩摩川内市の川内港から沖合約50キロにあり、人口約2300人。島へのアクセス手段は船しかない。

下甑手打診療所は、その島の最南端、港を見下ろす高台にある。島民でもある瀬戸上健二郎医師(75)は同診療所で昨年9月末まで所長を務め、今も精力的に診療に奔走する。

診療時間(午前9時開始)前の8時半ごろ、素足にズック靴で出勤してきた瀬戸上医師はスリッパ代わりの“わら草履”に履き替え、白衣に身を包む。「島のわら草履作り名人が作って届けてくれる。気持ちいいんだ」と笑顔で語る。

診療所2階の病室を回診する。ぜんそく持ちで肺炎を起こしたという島の83歳のおばあさんはこの日が退院日。瀬戸上医師が声をかけると、息子さんを交えて投薬についての相談。「良い先生よ。もう何十年の付き合い。何のお礼もばせんと、申し訳なかあ」と照れ笑いした。「何もお礼なんかいらんよ」と瀬戸上医師が温かく退院を見守る。

1階診察室では、後任所長を務める内村龍一郎医師(52)らとともに外来診療もさばく。訪れてくる患者は多種多彩。漁師町ならではか「のどに刺さった魚の骨が取れない」という男性患者や、糖尿病患者、風邪をひいた人。「驚いたのはウミガメにかまれて大けがをした患者も治療したことがある」と話した。離島・僻地医療に従事して38年。人気漫画・ドラマ「Dr.コトー診療所」の実在のモデルでもある。「(病巣を)自分で見つけ、麻酔をし、手術をしてきた。それを支えたのは地域住民との信頼関係であり、理解があったからこそできた」

医師に助けられ医学の道へ

実績を積み上げ、島民の信頼を得てきた

大隅半島・東串良町の農家に生まれた。医師を志したのは県立志布志高校3年生の時、医師に助けられた体験。盲腸の手術を受けたが、術後1週間が経過しても立って歩けずに、貧血を起こして倒れたという。

「何が起きていたのか?恐らく虫垂動脈がうまく、くっついていなかったのだろう」。別の病院へかかり、セカンドドクターに診てもらうと、腹部にバケツ1杯ほどの内出血があった。完治まで3カ月かかったが、仲良くなった医師に進路を相談したところ、弁護士か医者を薦められた。猛勉強し、東北大法学部と鹿児島大医学部に同時合格、迷いを断ち切った決め手は「医者の仕事はおもしろいぞ」の一言だった。

進学した鹿児島大では第1外科へ入局。胸部外科の研究と臨床に没頭した。

インターン時代の昭和41年、初めて離島医療との接点ができる。奄美大島の住用村(現・奄美市住用町)の診療所へ約2週間赴任。「まだまだ医者として経験未熟。怖くて(時間が)長かったように感じた」。そして“恐怖”のお産患者を診る羽目になったが、助産師資格を持つ看護師のサポートで切り抜けられた。

「当初半年のつもりが、気がつけば38年過ぎていた」と語る

鹿児島大から国立診療所「南九州病院」(姶良市)へ移り、外科医長まで務めた。しかし、独立開業を目指し病院を辞めたのが大きな転機となった。下甑村から「半年だけでもいいから来てほしい」と頼まれた。昭和53年、妻(68)を連れ下甑島へ赴任した。

離島医学の最前線へ

診療所は島の最南端、港を見下ろす高台にある
島民の「最後の砦」でもある下甑手打診療所

赴任した当初の診療所はウミガメが産卵に上陸する砂浜の前にあった。当時、医師は自分だけで、看護師と事務員2人ずつの5人体制。病床は6室あったが、手術台はさび、麻酔機もなかった。島で手術ができるか住民も不安だった。本土の病院で多くの手術をこなしてきたベテランの瀬戸上医師でも手術を断られた。「島へ赴任したことは大歓迎だが、それはイコール信頼ではない。信頼関係は容易に築けるものではなく、実績を示しながら、時間をかけて作り上げていくしかなかった」と振り返る。

行政の支援を得て、不十分だった設備やスタッフの拡充に努め、昼夜を問わず離島医療の最前線で奮闘した。簡単な盲腸の手術から、得意とする肺がん手術以外に、島で勉強しながら帝王切開、人工股関節やペースメーカーの挿入や植え込みなどを習得、仲間の医師と協力し難しい腹部大動脈瘤手術も成功させた。

昭和61年に新築移転した現診療所には人工透析室を配置し、CT(コンピューター断層撮影)機器も導入。病床数は19床に増え、医師2人と看護師13人を含むスタッフ29人がいる。

「当初半年だけのつもりだったが、気がつけば38年過ぎていた」のが実感だ。理由を聞かれると、「何でもありの地域医療のやりがいとおもしろさを知ったから」と答えるが、「悔しい、情けない思いもいっぱいしてきた」と話す。それでも続けられたのは、島とそこに暮らす人々の魅力。島民の「最後の砦」を守り、千人以上看取った。

その姿は無医村の島に赴いた医師の活躍を描く「Dr.コトー」そのもの。瀬戸上医師が国保の刊行物や地元紙で連載したエッセーが好評となり、漫画家の山田貴敏さん(57)の取材も受け作品に生かされた。

離島医療の先進地へ

設備やスタッフの拡充に努めてきた

甑島を離島医療の先進地とするべく昭和59年から「甑島地域医学研究会」を開催。全国から若手医師らの研修を受け入れ、JICAを通じて海外からも研修医を迎える。若手医師に教えられることも多く、同診療所はさながら「協働共学」の場になっている。「離島医療のマンパワー不足解消にも役立っている。離島生活では、(死亡診断書を出せる)医師がいなければ、葬式も出せなくなる。島の人は先生を『瀬戸上(神)さん』と慕っている」と診療所事務長の尾崎孝一さん(56)。

昨年10月、鹿児島市の内村医師が後任の所長として就任し、瀬戸上医師も当面、診療所勤務を続け、相談役としてサポートすることになった。瀬戸上医師は薩摩川内市市民福祉部次長にも就任しており、下甑島を含む甑島列島の診療体制に関し助言する立場だ。

人工透析など島の医療は格段に向上した

診療所の待合室には、漫画家の山田さん直筆による「Dr.コトー」主人公のイラストが、優しい目をして患者たちを見守る。そのまなざしはどこか瀬戸上医師と似ていた。「Dr.コトー」から「赤ひげ」へ。離島医療に情熱を傾ける下甑島のDr.コトーに最終回はない。(谷田智恒)

瀬戸上 健二郎 せとうえ・けんじろう
鹿児島県薩摩川内市下甑手打診療所前所長。昭和16年、同県東串良町生まれ。75歳。鹿児島大医学部卒。鹿児島大第1外科、国立療養所「南九州病院」勤務を経て、昭和53年から平成28年9月末まで同診療所長。離島・僻地医療の充実と向上に精力的に取り組む。離島医療をテーマにした漫画・ドラマ作品「Dr.コトー診療所」のモデルになった。